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AIで作るのが簡単になって、失われそうなもの

2026年8月17日 (月) 投稿者: メディアコンテンツコース

本ブログをご覧の皆様,こんにちは.

メディア学部教授 菊池 です.

皆様は生成 AI をどのうような用途で使われているでしょうか?
日常的な会話の中で使われたり,調べものの際や,文章を考えてもらったりすることもあるかと思います.

生成 AI を活用して,画像や動画を制作したことがある人もいるかもしれませんね.

初めて生成AIで画像を作ったとき、「おお、こんなに簡単に作れるんだ」と驚いた人は多いのではないでしょうか。
文章を入力すると、ほんの少し待つだけで、それまで自分では作れなかったような画像が目の前に現れる。
文章でも動画でも、似たような経験をした人はいると思います。

私は、この「自分にも作れた」という感覚は、とても大切だと思っています。
生成AIによって、それまで作品を「見る側」「使う側」だった人が、突然「作る側」に回れるようになったからです。
専門的な技術を身につける前でも、頭の中にあるイメージを形にできる。
そこで初めて、ものを作る面白さを知った人もいるでしょう。

これは、生成AIがもたらした素晴らしい変化の一つです。

ただ、私自身もAIを使って制作をする中で、最近少し気になることがあります。
「作れるようになった」ことがうれしいあまり、出来上がったものまで、以前より簡単に「良い」と思うようになってはいないでしょうか。

「自分にも作れた」と「良いものができた」は、本当に同じなのでしょうか。

AIによって「作る」までの時間は、驚くほど短くなりました。
でも、その速さと引き換えに、私たちがいつの間にか省略し始めているものがあるような気がしています。

今回は、そのことについて少し考えてみたいと思います。

これまで自分では絵を描けなかった人が、生成AIを使って思い描いていた画像を作る。
文章を書くことが苦手だった人が、自分の考えを文章として形にする。
動画制作の経験がない人でも、短い映像を作れるようになる。
生成AIは、さまざまな分野で「作る」ための入口を大きく広げました。

これまで完成した作品を見たり、読んだり、楽しんだりする側だった人が、自分で何かを作る楽しさを知る。
もしかすると、AIがなければ一生「作る側」に回らなかった人もいるかもしれません。
私は、これはとても面白い変化だと思っています。

ただ、「自分にも作れた!」という感動は、とても強いものです。

自分で初めて作った料理が、いつもよりおいしく感じる。
初めて撮ったお気に入りの写真に、他の写真とは違う特別な価値を感じる。
それと同じように、AIを使って初めて作ったものにも、「自分が作った」という感情が加わります。

もちろん、その感情自体は決して悪いものではありません。
むしろ、ものを作り続けるための大切な原動力になると思います。

でも、ここで一度だけ立ち止まってみる。

「作れたことへの評価」と「出来上がったものへの評価」は、分けて考えた方がいい。

私はそう思っています。

生成AIで画像を作っていると、出てきたものを見た瞬間に「すごい!」と思うことがあります。
でも、少し時間を置いて見直してみると、「ここはおかしいな」「こっちの方が良かったかもしれない」と気づくこともあります。

面白いのは、AIが作るスピードが上がれば上がるほど、この「見直す」という行為を飛ばしやすくなることです。
次々と画像を生成できる。
文章もすぐに書き直せる。
動画もどんどん作れる。
作ることが速くなった結果、私たち自身も「次へ、次へ」と急ぐようになってはいないでしょうか。

でも、本来なら作品が出来上がったあとには、それを見る時間があるはずです。
「本当にこれでいいのか」
「自分が作りたかったものになっているか」
「どこかに違和感はないか」。
他のものと比べたり、人に見てもらったり、もう一度修正したりする時間です。

AIによって短くなったのは、本来なら「制作にかかる時間」のはずです。

「考える時間」や「見る時間」まで短くする必要はありません。

むしろ、AIが作る作業を速くしてくれたのなら、そのぶん人間は「見ること」に時間を使ってもいいのではないかと思っています。

ここで誤解してほしくないのは、「AIを使うと人間の見る力が失われる」と言いたいわけではないということです。
AIが、私たちから何かを強制的に奪っているわけではありません。

私が気になっているのは、あまりにも簡単に作れるようになったことで、
私たち自身が「よく見る」という行為を省略するようになってしまうこと
です。

出来上がったものから少し離れて見る。他のものと比べる。
「なぜ自分はこれを良いと思ったのか」を考える。
違和感があれば、その理由を探してみる。
そうした時間は、AI以前よりむしろ大切になっているのではないでしょうか。

これは画像や映像だけの話ではありません。
AIに書いてもらった文章でも、作ってもらったプレゼン資料でも、考えてもらった企画でも同じです。

AIから何かが返ってきた瞬間を「完成」にしない。

一度、自分の目で見る。
それだけでも、AIとの付き合い方はかなり変わるような気がします。

生成AIによって、それまで作れなかった人が「作れる人」になった。
私は、それ自体はとても素晴らしい変化だと思っています。
だからこそ、「自分にもできた!」という喜びは大切にしたい。
でも、その喜びと「良いものができた」という評価は、少しだけ分けて考えてみる。

AIが作る作業を助けてくれるのであれば、出来上がったものをもう一度、自分の目で見てみる。
「本当にこれでいい?」と、自分自身に問いかけてみる。

AI時代に必要なのは、もっと速く作ることだけではないのかもしれません。

AIで作るのが簡単になった時代だからこそ、私たちは「見ること」を手放さない。

最近、私はそんなことを考えています。

文責:菊池 司

素数と情報

2026年8月14日 (金) 投稿者: メディア社会コース

今日8月14日は、19世紀のベルギーの数学者シャルル・ド・ラ・ヴァレ・プーサンの誕生日です。

素数定理の証明者ですが、同じ時期に同じ結果を示したアダマールが有名なため、独立に証明したことはあまり知られていません。

素数は、2,3,5,7,11 と続きますが、どこに現れるのかは不規則です。
ただ、数の範囲を広げていくと、その中で素数の占める割合は、全体としては小さくなっていきます。

素数定理は、その割合が小さくなっていく程度をかなりよく見積もれることを示したものです。
不規則ではあるが、広い範囲を全体として眺めると、その分布には法則性があるというわけです。

しかし、ある大きな数が素数かどうかは、この素数定理でもわかりません。

たとえば、123456789 という数が、9で割り切れることは、すぐわかります。
しかし、9で割った 13717421 が素数かどうか、素数でなければ、どんな素数の積で表されるのかは簡単にはわかりません(実は素数ではなく、3000を少し超えるふたつの素数の積になっています)。

大きくても、ふたつの素数の積を求めるのは簡単です。しかし、その積から元のふたつの素数を求めるには、時間のかかる計算が必要になります。
この違いが、現在の、情報通信を守る、公開鍵暗号などに使われてきました。

文章も画像も音声も、デジタル情報では数として記録されて送られますから、そのようなことができるのです。

素数の性質が、情報を、ひいては財産を守っていると言えるのです。素数定理の証明者たちもこのような使い方がされるとは思わなかったことでしょう。

勉強や研究には、そのような面もあることを覚えておくといいかもしれません。

(メディア学部 小林克正)

映像スイッチングとは何か?

2026年8月13日 (木) 投稿者: メディアコンテンツコース

 プロジェクト演習「インテブロ」がオープンキャンパスで、番組配信のデモンストレーションを披露していることは、前回書きました。番組配信ともなれば当然、カメラ、音声、照明が欠かせないのですが、実はディレクター最大の見せ場と言われているのがスィッチングです。例えば、番組(ライブ)を撮影するカメラが5台あったとします。スイッチャー(ディレクターが担当することが多いです)は、その5台あるカメラ映像の中から1つの映像を選ぶ役割です。

 テレビ局では、スタジオ横のサブ調整室(副調整室)や中継車でスイッチングをするのですが、目の前にずらっと並んだ映像の中から、放送(配信)に使う1つの映像をはめ込んでいきます。昔は映像を切り替えるタイミングで指を鳴らす(指パッチンする)先輩も多く、「指パッチンができないとディレクターにはなれない」と脅かされて、練習したことが夢のようです。

 自分が初めてスイッチャーを担当した日の感動は、今でも忘れられません。日本全国の視聴者が、自分の選んだ映像でテレビを楽しんで下さっていると思うと、前日寝られないこともありました。スポーツ中継で、中継車の中でスイッチング中継をした時は、暑かったので扉を開けていたのですが、大勢の子供たちが私たちの後ろで大騒ぎしてくれたこともありました。

 さて「インテブロ」では、固定カメラも含めて約9個の映像を撮影していることが多いです。その9個の映像の中から、学生スイッチャーが1つの映像を選んでいくのですが、スイッチャーの後ろに立つとあなたもスイッチャー気分が味わえます。

 あなただったら、どの映像を採用しますか?

メディア学部 山脇

量子とデジタル

2026年8月12日 (水) 投稿者: メディア社会コース

今日8月12日は、物理学者エルヴィン・シュレディンガーの誕生日です。

シュレディンガーと言えば、有名な思考実験の猫を思い出すかもしれませんが、最大の業績はシュレディンガー方程式です。

電子のようなレベルの非常に微細な粒子は量子として扱われ、シュレディンガー方程式は、そのふるまいを波動関数として記述します。

量子は波のような性質を持つということなのですが、それだけでなく、
逆に、波であると考えられていた光などが粒子である量子としてふるまうことも観察されました。
粒子を表す方程式の結果を波として解釈することを量子化と呼びます。
波でもあり、粒子でもあることが、物理的な基本単位である量子の本質であることがわかっています。

量子の位置と運動量を同時に正確に測ることはできず、それは不確定性原理と呼ばれます。
また、その前提にある量子状態の重ね合わせという性質がが猫の思考実験につながります。

ところで、量子物理学とは少し異なりますが、デジタル技術でも量子化があります。
こちらは、アナログつまり連続なものを、飛び飛びの値で数値化することを言います。

このとき、どのくらいの細かさで数値化するかによって、元のアナログ量の再現性とデータ量が変わってきます。
ここで不確定性原理に似た関係が成り立ちます。詳細まで残そうとすると多くのデータ量が必要になるわけです。

このように、もとの理由こそ異なりますが、量子物理とデジタル技術には、似たような考え方があり、それを手がかりにして理解が深まる面があるのです。
みなさんの学んでいることの中にもこうしたことがらはあるはずなので、意識すると少し勉強がラクになるかもしれません。

(メディア学部 小林克正)

プロジェクト演習「インテブロ」のオープンキャンパス

2026年8月10日 (月) 投稿者: メディアコンテンツコース

 最近の8月の猛暑は異常ですね。東京工科大学では、オープンキャンパスに向けてさまざまな研究室やプロジェクトが、ふだんの活動を紹介していますが、今回はプロジェクト演習「インテブロ」の紹介です。インテブロというのは、インターネットとブロードキャスティングの造語で「インターネット放送局」という意味です。2026年度は、1年生から3年生まで約100人が履修しています。 

 このプロジェクト演習の大きな特徴の一つは、上級生が下級生にその技術や学びを伝えていく、学生主体の運営がなされている点です。今年は1年生の履修者が70人を超え、上級生は目を回しながらも一所懸命に取り組んでいます。 

 オープンキャンパスでは、主にバラエティ番組の収録、編集ソフト講座、そしてバンド演奏のライブ収録を紹介しています。毎年、高校生のみなさんが目を輝かせて参加してくださるのが本当に楽しみです。 

 「オープンキャンパスで親切に教えてくれたので、自分もインテブロに入った」という学生も少なからずいて、その学生の感想・助言もオープンキャンパスに活かされています。 

 オープンキャンパスにいらっしゃるみなさま、ぜひプロジェクト演習「インテブロ」の教室ものぞきにいらしてください。 

 

メディア学部 山脇 

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