「殺人狂時代(チャップリン)」におけるセントラルクエスチョン
2025年1月10日 (金) 投稿者: メディアコンテンツコース
みなさん、こんにちは。メディア学部の兼松です。
(今日の記事は、チャップリンの映画「殺人狂時代」のネタバレを含みます)
今期の私の授業の最後数回分はチャップリンの映画について紹介、解説しました。
チャップリンは映画の歴史・発展を語る上で重要な人物の1人ですが、映像などに興味がある割合が多いメディア学部の学生でも、想像以上に「見たことがある」と答える学生が少ないです。
たしかに、最近の映画などと比べると、CGなども使われていませんし、派手さはありません。
しかし、ある意味シンプルだからこそ、学べることはたくさんあります。当然ですね。でなければ、名作として後世に語り継がれたりはしません
チャップリンはその生涯で数多くの作品を残しましたが、色々な意味で話題になりやすいのは晩年に作られた「独裁者」や「殺人狂時代」でしょうか。特に殺人狂時代は公開当時、今風に言えば大炎上した作品です。
これは冷戦の時代だったということも多いに影響しますし、作品だけでなく、当時チャップリン本人にかけられていた様々な疑惑の影響も無視できません。
これらの疑惑が真実だったのかどうかについて言及するつもりはありませんが、戦争を知らない世代である今の我々日本人がみると、むしろ純粋に作品を楽しめるのではないかとも思います。
さて、先日の記事では、悲劇やバッドエンドの作品に13フェイズや「満足」が適用しづらいという話をしました。
この殺人狂時代も、単純なハッピーエンドではありません。
実在の殺人鬼・犯罪者を主人公のモデルにした作品ですが、最終的には逮捕され、処刑されてしまいます(処刑されるシーン自体は映されませんが)。したがって、メインストーリーとしては純粋なハッピーエンドではありません。
また、実在の事件をもとにしているため、セントラルクエスチョンとしても、例えば「主人公は完全犯罪を成し遂げられるのか?」といった類のものではありえません。
既存作品のセントラルクエスチョンや「満足」を抽出する場合、ハッピーエンドの作品でも基本的には「どういうオチなのか」ということがキーになります。オチが最終的な作品の印象に大きく影響するため、それまでの話というのは、基本的に綺麗におとすために積み上げられているはずです。これはバッドエンドや悲劇でも基本的に変わらないはずです。
殺人狂時代においてチャップリンが視聴者に最も伝えたかったテーマは何かと言われれば、やはり大炎上した大きなポイントのひとつでもある最後の判決のシーンや処刑を待つシーンでのセリフではないかと思います。
このチャップリンのメッセージは、殺人狂時代の物語の中では「犯罪者が最後に犯行の動機を明かす」という行動として描かれています。だからこそ、バッドエンド(正確に言えばアンハッピーエンド)として、しっかり機能しています。
こういった視点でみると、それまでの「犯行を重ねるシーン」も少し見方が変わってくるのではないでしょうか?
ぜひ、こういった視点でも殺人狂時代を見直してみてください。きっと物語構造を掴むきっかけになると思います。
(文責:兼松祥央)