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「考えた」が出てこない卒業論文

2022年1月20日 (木) 投稿者: メディア技術コース

メディア学部の大淵です。

昨日の記事で寺澤先生も書かれていたように、卒業論文の執筆では、「何を書くか(研究内容)」に加えて、「どう書くか(文章力)」も重要です。1年前の記事で、私の研究室では「私」という言葉を使わないようにしたという話を書きましたが、その後もいろいろと考えて、今年はNGワードをもう一つ増やしました。「考えた」です。

論文で何かを主張する際には、理由を付けて説明するのが基本です。「〇〇という理由により××である」みたいな感じですね。「誰それの論文によると××である」のように、他の人の研究をベースに主張しても構いません。でも、理由のところをちゃんと考えていないと、いざ文章にしようというときに、「××である」としか書けなくなってしまいます。とはいえ、理由もなしに断言するのはさすがにまずい思うのか、そういうときに「××と考えた」という書き方をする人が多いような気がします。確かに、考えたのが事実なら文として間違ってはいないのでしょうが、これでは話が論理的に進みません。そこで今年の卒研生には、「考えた」を使わずに卒業論文を書くようにという縛りを付けてみました。いきなりそんなことを言われて、これまで「考えた」を多用するのに慣れていた人は大変だったかもしれませんが、完成した論文を見ると、けっこう効果があったのではないかと思います。

さてさて、NGワードをこれ以上増やすのも大変だし、来年は何か違う文章トレーニング方法を考えなくては…。

文章を書くこと

2022年1月19日 (水) 投稿者: メディア技術コース

皆さん、こんにちは。

メディア学部では今年度は1月20日が卒業論文の提出締め切りとなっています。今日は前日の19日です。私の研究室でも最後の論文チェックを行っていますが、毎年感じるのは文章を書く力は個人差が大きいということです。様々な文章を読んでいる人の方が文章を書く能力が高いということが良く言われています。そのため、読書を勧めるという流れになるのですが、これがどの程度データに基づいた話か私は知りません。個人の経験で言えば、読むことも書くことも、そして自分や他人が書いた文章を直すこと・直されることもどれも大事なことであるように思います。

言葉とは進化・変化していくものですから、10年前の基準で判断することが今でも通用するのかは自信が持てないときもあります。現在の社会はSNS等の影響なのか、短文、あるいは単語のレベルでのコミュニケーション(?)が多い印象です。一方、学生の皆さんがレポート等で書いたものを読むと、一つの文がやたら長い割には主語が無かったり、主語と述語の関係がおかしかったりします。変換ミスや誤字脱字ではなく表現や漢字を誤用している(そう覚えているのでしょう)のもよく目にします。

やはり、先に書いたように読み・書き・推敲の訓練が足りないのではないでしょうか。かつて、メディア学部でも長文レポートを課して教員が添削するという授業を実施していたことがありますが、文章の添削指導は教員の側の負担も大きく、十分な量を実施することは困難です。やはり、一人一人が、整った文章をよく読み(教科書や論文も!)、レポートなどの文章を書く際にはよく推敲するということを地道に繰り返すしか方法は無いのかもしれません。何より、自分が書いた文章はおかしくないか?と気にかける姿勢が必要でしょう。

とはいえ、私自身も自分が書いた論文や著書の査読を受けると、内容のこと以外に文章表現についての指摘もかならずあります。能力の問題かもしれませんが、個人的には気分が乗らないときや眠くなっているときなどに書いた文章が指摘を受けることが多いようです。私がこのブログで書いている記事もチェックされると... 怖いです。

(メディア学部 寺澤卓也)

サラウンド音響の方向推定(総集編)

2022年1月18日 (火) 投稿者: メディア技術コース

メディア学部の大淵です。

芸術科学会論文誌の最新号に、当研究室卒業生の矢島さんが第1著者の「サラウンド音響環境における視聴覚情報の時間的不一致の影響」という論文が掲載されました(Vol.20, No.5, pp.219-230)。タイトルからもわかる通り、サラウンド音響環境で特定の方向の音を聴かせるときに、わざと矛盾するような映像を見せると、音の方向知覚がどのように影響されるかを調べた研究です。これまでにも、こちらの記事こちらの記事こちらの記事などで紹介してきましたが、ひととおりの研究がまとまったので、その集大成として執筆したのが今回の論文です。ちょっと前のブログ記事で紹介した、こちらの研究と似たような経緯ですね。

この論文も、執筆から掲載までは紆余曲折でした。最初に投稿した論文は、これでもかというぐらいの大量の指摘とともに不採録になってしまったのですが、どの指摘も実に的確なものだったので、ひとつひとつ一所懸命に対応して論文を修正し、さらに何度かの再投稿を経て、ようやく掲載に至りました。ブラインド査読なのでどなたかはわかりませんが、査読者の方と一緒に完成させた論文という感じです。

肝心の研究の内容ですが、一番興味深かったのは、音が鳴る瞬間に何か映像を見せると、音の方向推定の正解率が下がるという実験結果です。私の研究室でも、音と集中力の関係について研究したいという人は多いのですが、人間の集中力の総和は限られているという観点で考えると、他にも面白い研究テーマが見つかるかもしれません。

海外大学での講義

2022年1月17日 (月) 投稿者: メディア技術コース

もう昨年の話になってしまいましたが、年末付近に海外の大学で2件ほど講演をいたしました。といっても、残念ながらいまだにこのご時勢ではリモートでの実施ということでしたが、逆に言うと、こういうことが簡単にできるようになったとも言えますね。片方はデザイン学部で、もう一方はゲーム関連のいくつかの大学の学部が共同で実施したカンファレンスでした(たぶん…)。こういう機会では、研究室のこれまでの成果を並べて紹介するのが準備を簡単にすませる常套手段ではあります。しかしながら、今回はどちらも私の専門(インタラクション・デザイン)とは若干ずれているので、せっかいの機会と思い、これまで講義として話したことがなかった内容をまとめてみました。

 

デザイン学部(テイラーズ大学、マレーシア)のほうでは、アイデアの抽象化と他分野への適用についてを取りあげてみました。内容的にはゼミなどでよく話をするものですが、講義としてまとめるのは、自分自身でも考察しなおすのにいい機会でした。やってみると、まだ他の人に伝えるのに十分練れていないようですし、適切な具体例を見つけるなど課題がかなりありますが、とりあえずやってみたのはスタートとして良かったと思います。これをベースとして、来年度から大学院で新しい授業としてみようと画策しています。

 

もうひとつはVRやARについて話して欲しいとのリクエストでした。タイにおけるゲーム関連の大学の学部いくつか(タマサート大学、キングモンクート大学、シラパコーン大学)による共同シンポジウムのようでした。ということで、VR+AR+ゲームが期待されるテーマなのだと思いましたが、2日間に渡って複数の発表者が、VR、ARに関連したゲームやメタバースについて講演するようでしたので(メディア学部の三上先生も講演されました)、そのなかで素人の私が同じ土俵で話してもと思い、インタラクションデザインの観点からの考察というテーマで話を組み立ててみました。このような締切がある状態でもないと、アイデアをまとめるようなことは忙しさにまぎれてなかなかしませんから、こちらも漠然としていたアイデアをまとめるのに良い機会となりました。まとめている間に、研究のアイデアもいくつか浮かんできました。

 

それぞれの講演については、主催者側に顔写真を求められたので送ったら、それぞれ格好いいポスター画像を作ってくれました。こちらで主催して講演をお願いするときも、こういうものを作らないといけないんだなあと反省いたしました。どうせなら違う画像を送っておけば良かった…

 

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太田高志

 

 

第10回シナリオ執筆未習熟者の作品に共通して発生する欠点(あな)

2022年1月16日 (日) 投稿者: メディアコンテンツコース

みなさん、こんにちは。メディア学部実験助手の菅野です。

今回も「シナリオ執筆未習熟者の作品に共通して発生する欠点」として、定期的に私が何度も遭遇してきた「シナリオの欠点(あな)」について書いていこうと思います。今回取り上げるトピックは・・・

「ラブロマンスの結末に関するシナリオの欠点(あな)」です。

何度かこのブログで述べてきたことですが、今も昔も「恋愛」はシナリオの人気テーマなので、毎年私がチェックするシナリオのジャンルでも特に提出が多いジャンルの一つです。

シナリオを読む側(最終的には映像作品を見る側)にとっても、シナリオを書く側にも人気のジャンルである理由や原因は色々あると思いますが、私が考える最大の理由のひとつは「主人公が作品全体を通して解決する中心的課題(セントラルクエスチョン)がわかりやすい」という点です。

少々無粋で語弊のある言い方になってしまいますが、恋愛モノのシナリオは基本的に「登場人物Aと登場人物Bが、紆余曲折を経て、結ばれる」という筋立てになるので、セントラルクエスチョンは「登場人物Aと登場人物Bは果たして結ばれるのか?」という問いかけになり、その過程で起こる様々な出来事や問題をいかにクリアして、その都度、受け手(観客)に、「登場人物Aと登場人物Bは果たして結ばれるのか?」と思わせ続けることが重要になります。

最近は同性婚の制度が広まりつつあることもあって「登場人物Aと登場人物Bは果たして結ばれるのか?」という表現にしましたが、異性同士であろうと同性同士であろうと、恋愛成就の過程をいかに魅力的かつ興味を引く内容にするかは、シナリオライターとして最も工夫すべき部分であり、一見どう考えても結ばれないであろう条件と状況におかれた者同士の恋愛を描くことに苦労するのはまだしも、安易に両者が結ばれてしまって過程になんの興味も抱かれないようなシナリオを書くことは避けねばなりません。

安易に結ばれないよう、さまざまな工夫が凝らされたラブストーリーのシナリオは、私自身がチェックしていても大変興味深いと感じるわけですが、そういったシナリオによくある欠点(あな)があります。途中までは恋愛成就のための条件クリアや問題解決のために奔走していることはシナリオに書いてきたのに、肝心の結末部分において「(登場人物Aか登場人物Bのどちらかが)告白して結ばれた」としか書かれていない事例がそれです。

確かに恋愛の形やそこで発生する感情の数々は、千差万別、十人十色で、言葉だけで記述するには限界があるかもしれませんが、それでもシナリオは「映像コンテンツの設計図」であり、映像として表現されない部分は何らかの形で表現する手段を考えなければなりませんし、安易にセリフで告白しただけでは、観客も満足できないでしょう。

以前、私は「シナリオアナリシスでよくある質問(おすすめの映画)その3」で、映画「ローマの休日」を取り上げ、こんな一節を書きました。

http://blog.media.teu.ac.jp/2020/09/post-7ad638.html

『この作品はラブロマンスの代表作としても広く知られていますが、あらすじに書きましたように「最後に恋は成就しない」作品です。男女の恋愛を描く作品なら、基本的には最後には結ばれて欲しいと願うのが視聴者側の心情ですが、この作品ではそうならなくても消化不良感がありません。これは主人公のアンが、恋愛を通じて自分の責任を強く認識するようになり、王女として自立する姿を描いているからです』

しがない新聞記者のジョーと一国の王女アンという、どう考えても不釣り合いなふたりが、ローマの街の散策を楽しみ、アンの追手をかわしながら、互いの魅力に惹かれあい、抱きしめ合いこそしても、別れてそれぞれの道を歩むことを決めた理由が、相手を好きになったからだと示すラストは、この作品がラブロマンスの代表とされる所以でしょう。

告白する、という行動をシナリオに記述すること自体が悪いわけではないのですが、恋愛モノのシナリオを書くなら、過去のラブロマンス作品をたくさん見て、結末のバリエーションを知っておきたいものです。

«「音楽創作論」での作曲 〜お披露目に間に合いました〜