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無駄の効用

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事業仕分けがマスコミを依然にぎわせている。確かに一部の利権に与した無駄もある。これらは大いに精査していただきたい。しかし、仕分け人の信奉するらしい「経済的合理性」の世界には、無駄ではない無駄もあると言ったら、意外であろうか。





学生の頃、「何かいい本あったら1冊教えてくれませんか」とよく聞かれた。米国の教科書のようなものを期待しているのであろうか。確かに、米国の教科書には、ノーベル賞クラスの人たちも執筆者に名を連ね、非常に分かりやすい、優れた本が多い。しかし、なんでも一通りのことが分かる教科書に書かれている事柄は周知の事実であって、所詮お勉強のためのテクニックを学ぶものである。いやしくも研究者を目指す前途有為な若者にとって未知の領域を探求する研究書にはなりえない。彼らに共通する心情は、1冊読めば何でも分かる「効率」の良い本はないか、ということらしい。



筆者の個人的な経験では、100冊の文献を読んで、直接研究に使えそうなものは一つ、二つあれば良い方である。事業仕分けの人たちからすれば、何とも「効率」の悪い話である。こんな非効率な勉強をしていても、親から仕分けされずに済んだ。仕分けしようにもほかにつぎ込むべき投資先がなかったからかもしれない。では、残りの98~99%の文献は筆者にとって無駄だったのであろうか。



直接役立つものだけが有益なのではない。筆者にとって98~99冊の文献は、直接役に立った1、2冊の内容を理解するために役に立った。この1~2冊に行き着くために、つまり研究の方向性、コンテクスト作りの役目を果たした。また、読んだ当時は直接の役に立たなくても、いつか役に立つ本になるか、あるいはそのような本との出会いのきっかけになるかもしれない。役立てられる能力を持っていなかっただけなのかもしれない。結局、他人の意見は参考程度で、自分で本を読み、役に立つ本を探すプロセスが大事であって、結果がすべてなのではない。今はそれができる幸せな時期なんだよ、と説教したが、どれだけの人たちが合点してくれたであろうか。



効率性を至上とする民間企業の場合はどうだろう。限りある資源を無駄なく使う、これが経済学の教えである。経営者も資源(ヒト、モノ、金)が無尽蔵にあれば何の苦労もない。男はつらいよ、のタコ社長がいつも資金繰りに走り回っていた姿を見た人もいよう。資源に制約があるから、企業は最も効率的に、すなわち、最も収益に貢献する分野に資金を投下しようとする。ここには非効率を許す余地はない。



ヒット商品を開発し、急成長しているときには、製品のさらなる改良や広告宣伝に、限られた資金を投下すれば、収益の増大も期待できる。効率の良い資源配分である。四半期、半年、1年単位でみれば利益が確保できそうである。そうすれば、株主に説明もつく。決算のとき株を売り浴びせられるということもなさそうである。



しかし、このような「効率的」な経営だけで、5年後、10年後、さらには将来的にこの会社は存続していられるだろうか。ハイブリッドカーや、ブルーレイ、液晶・プラズマテレビは、各社の業績を支え、パッとしない日本経済のけん引役を担っている。しかし、これらのヒット商品もやがて普及が進み、需要が飽和する。そうすると、買い替え需要や、高付加価値化と称するマイナーチェンジにしのぎを削らなければならない。コスト削減を徹底しなければならない。



もし、次の時代を担う新たなヒット商品を誕生させようとすれば、海のモノとも山のモノともつかない未知の領域で研究開発を行う必要がある。その努力にかかわらず、成果(パフォーマンス)は死屍累々であろう。決算時の収益圧迫要因以外の何物でもない。効率的なコスト管理がなければ企業は生き残れない。



しかし、新たに切り拓く道の探索をゼロにしてはならない。なにもないところからは何も生まれない。後戻りもできない。未踏の領域だからこそ、探検を続け、この研究を継続すること自体が、未知の発見の種となり、ヒット商品実用化の基盤になるのである。失敗例に別の道を探すヒントもある。効率性を徹底しすぎると企業に将来はない。短期的な評価には将来に芽を残すメカニズムがないからである。



個人、企業を国家に換えても同じである。二位じゃダメなんでしょうか?――答えは明らかであろう。

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