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役に立つことしか勉強したくない

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昔のエラい人が「数学は役に立たないから、勉強しなかった」という意味のことを言った話を、以前、書きました。この話を思い出したときに、こうした人は、役に立つからという理由だけで勉強したのだろうかと考えました。この人も、実は役に立たなくても勉強したことはあったのではないだろうかと疑問を持ったのです。もちろん、数学ではなかったでしょうが。

なぜ、ある分野(科目)を勉強するのかと聞かれたときに、教えている立場では、結局、何かの役に立つからと言うことがあります。しかし、役に立つということだけが勉強するかどうかの基準ではないはずです。

確かに、ほとんどの科目は、直接、何かの役に立ちます。外国語は、その言葉しか話せない人とのコミュニケーションの役に立ちます。社会科は、世の中のことをよく知るために役に立ち、知らなければ、損をする可能性もあります。

しかし、国語の文学は、直接、役に立つでしょうか。文学は心情の理解に役立つといいますが、フィクションなら現実のことではないですから、直接、役に立つといえるかはわかりません。

もっと極端な、数学について考えてみると、たとえば、因数分解を日常生活で直接、使うことがあるでしょうか。因数分解を例に出したのは、学生の話を聞いていると、「大学生が選ぶ、日常、使わない計算ランキング」をとると、一位になるだろうと思うからです。

20世紀初頭、ヒルベルトという数学者が「先生の研究は何の役に立ちますか」と聞かれて、「純粋数学であって、何の役にも立たないのが意義だ」と少し誇らしげに答えたようです。しかし、例えば、現代のコンピュータはヒルベルトの研究結果なしでは、存在しなかった可能性さえあります。

研究者、特に基礎分野の研究者は、ヒルベルトと同じように、現在は役に立たなくても、とにかく研究しているということが見受けられます。役に立つのは、ずっと先ということもありえます。

すぐには役に立たないとすれば、なぜ、研究をするのでしょうか。単純化して言えば、面白いからということになるのではないかと思います。

数学に限らず、どの分野でも、勉強を進めていくと、面白いと思えるようになると思います。

ある科目がつまらないと思うなら、そして、まだ面白くなるほど勉強していないという理由ならば、それはもったいないことです。

もちろん面白くなるまでには、多少の我慢と地道な努力は必要かもしれません。しかし、少しでも面白いと思えるところは比較的早くみつかるのではないでしょうか。そこから他の部分も勉強したくなれば、しめたものです。

ためしに面白くなるまで勉強してはどうでしょうか。大学に入ってからの勉強も同じです。

(メディア学部 小林克正)

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