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数学は型にはまっているからキライだ

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数学嫌いという人から「数学は型にはまっていて自由でないから嫌い」と聞きました。同じような言葉ですが「答えがひとつしかないから嫌い」というのもあります。

実際のところ、数学の問題のように、問題と答えが直接的な組になっている場合、答えがひとつでなければ、解答する意味がなくなってしまうでしょう。知識を問うクイズも国語の漢字の問題もそうです。答えがひとつだけなのは、数学に限らないのです。だから、答えがひとつしかないから嫌いだというのは、言いがかりに近いと思えます。

型にはまっていて自由でないという点ですが、ダンスやファッションなどでも型が決まっているものはたくさんあります。型があるからこそ良い作品ができたということも聞きます。

なぜ、数学に対しては、こうした型が決まっているとか答えがひとつだといったことが嫌われる原因になるのでしょうか。日常では見慣れなかったり聞き慣れなかったりする用語が使われるのと、その用語で議論がされること、その結果である定理がすでにたくさんあることなどが自由でないと感じられて、嫌われるのかもしれません。

カントールという数学者は「数学の本質は自由にある」と述べたといわれています。これは、カントールが当時としては新しい分野(無限集合論)を始めたことに対する他の数学者からの批判に対する反応だったそうですが、その頃は、数学者の中でも、数学は型にはまったようにすべきだという考えと、自由にすべきだという考えがあったわけです。

現在、数学とは数学者が研究しているものであるという自己言及的な定義がいわれるほど、数学は多岐にわたっています。おそらく、数学は、数の概念を前提にして、公理を設定すれば、何を研究してもいいようになっています。カントールの頃より、さらに自由になっているのです。

数学も自由なのです。しかし、その自由は型を体得して初めて見えてくる性質のものといえるのではないかと思えます。先が見えないまま進むのは不安があります。いま数学の勉強をしている(せざるをえない)人たちは、自由を手にするために、型を学んでいるのだと思ってほしいものです。
(メディア学部 小林克正)

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