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数学と発見

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前回、気づくということについてかきましたが、発見というと新事実に気づくということになります。

ところで、高校までの数学は、ほとんどが計算の勉強で、のこりの一部が証明の勉強だとおもわれていることでしょう。たしかに、教科書もそうした構成になっています。

はじめのころには、計算のしかたをおぼえて、それを機械的に適用するのが、数学の勉強だとおもっていたかもしれません。計算が得意だから、数学が得意ということになります。そのせいか、数学に証明がでてきても、おぼえておいて、機械的に適用するというやりかたをとろうとするひともいるようです。しかし、それだけでは、すこしことなったことがらは証明ができなくなってしまいます。やはり、意味を理解することが重要です。

さらに勉強がすすんでくると、計算のしかたをみつけたり、証明のしかたをみつけたりという発見の方がおもしろいと感じるようになります。ちょうどうまくできたパズルがとけたときのような感覚があります。

実際、数学は、発見の科学です。もちろん、こちらの発見は、自分にとってだけでなく、人類にとっての発見になりますが、それもまた発見者自身にとっての発見からはじまるといえます。そして、計算や証明のしかたはもちろん、概念やただしいとおもわれることがらの発見が重要になっています。

最近は、よくしられるようになってきましたが、ラマヌジャンという数学者がいました。32年というみじかい生涯で3000以上ともかぞえられる公式を発見しました。そのおおくが、ふつうの数学者の直感でも、ただしいかどうかさえわからないほど複雑で、数学的にも興味ぶかいものでした。

ただ、現代の数学は、発見ではおわりません。論文などで公表するには証明が必要になってきます。じつは発見だけですんだ時代もあって、たとえば、ニュートンは微積分の発見者として有名ですが、厳密な証明はしていません。そのため、当時、ニュートンの数学的な発見の一部には納得しないひともおおくいたそうです。そうしたことも契機となって、数学には証明が必要になってきて、数学者のしごとは証明だとおもわれているのでしょう。しかし、やはり、そもそも発見ができなければ証明もできないのです。

ラマヌジャンをみいだしたのは、ハーディという数学者で、ラマヌジャン自身は証明にあまり興味がなく、得意でもなかったようで、証明はハーディがおこなっていましたが、証明できない公式もおおくありました。

ニュートンの微積分もラマヌジャンの公式も、発見から厳密な証明ができるまでに、100年ちかくあるいはそれ以上かかったものもありました。

自分で発見したことはわすれないという面もあります。授業にもできるだけ発見があればいいとかんがえています。メディア学部では、数学関連にかぎらず、そういう経験をしてもらえるように工夫されている授業がたくさんあります。 (メディア学部 小林克正)

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