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六代目圓生

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ひとに自慢できるほどの道楽はないが、落語は好きである。落語と言えば、圓生である。六代目三遊亭圓生は、物心ついたときから知っていたような気がする。もっとも、正確に当時の記憶として残っているのは、圓生ではなくて、漫才の獅子てんや・瀬戸わんやである。3、4歳の頃であるが、あまりのおかしさに、転げ回って笑っていた。頭がおかしくなったのではないかと心配されたほどである。

残念ながら、圓生の高座は観ていない。小学生の頃、父に浅草に連れて行ってもらい、いまも活躍されている、桂米丸師匠、歌丸師匠を観た。後は、以前ブログで話した、志ん朝師匠だけである。だから、六代目圓生のことは、五代目志ん生の高座も観たという親の話を聞きかじった記憶だったり、あまりの大看板、大名人というイメージであったり、せいぜいテレビで見ていただけだったり、というのが正確なところである。それでも、三つ子の魂で、落語と言えば圓生で、至宝とも言うべきDVDを観て、その凄みに震えたり、にやにや笑いを浮かべたり、涙したり、妖しい気持ちになったりしている。

圓生の名人ぶり、比類のない芸の広さをここで書くのは憚られる。若い頃は売れず、五代目志ん生とともに満洲に慰問にいき、命からがら引き揚げて芸が変わったと言われる。その志ん生を評して、「道場で志ん生と試合をすれば、私は大分うちこめます。しかし、野天で真剣勝負となると、私は方々斬られます。(宇野信夫氏)」また1970年前後にテレビか何かで見た記憶であるが、当時、笑点というテレビ番組などで人気絶頂であった弟子の円楽に「お前さん、芸が雑になったね」、その後円楽はテレビから去り、高座に専念した。

1979年、浪人中の筆者は、お茶の水の予備校に通うために自宅から国鉄(当時)津田沼駅に自転車で通っていた。駅南口前に、当時開業したての大型商業施設がある。ここで高座を努めた直後に圓生は亡くなった。197993日であった。同じく浪人生活を送っていた高校の級友と、もう落語はおしまいだ、と語ったものである。しかし、まだ、志ん朝がいた。

(メディア学部 榊俊吾)

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