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本を読もう

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メディア学部の大淵です。

1年生前期の「フレッシャーズゼミ」では、基礎的な国語力の向上を目指して、様々な活動を行っています。「本を一冊読んで読書ノートをつけよう」というのも、そうした活動の一つです。ゼミ生の中には、普段は全く本を読まないという人もいましたが、久しぶりの読書は楽しめたでしょうか。

「最近の若い人は本を読まない」と、年配の人がなげく場面を良く見かけます。実際には、最近は若者の読書量も微増傾向にあるといったデータもあるようですが、とはいえまだまだ本を読まない人が多いのは事実でしょう。一方で、若い人は本は読まないけれども、それ以上にネットを通じて膨大なテキストを読んでおり、「活字離れ」とは言えないという主張もあります。

確かに、私自身もネット上のテキストを読む機会は多いのですが、いわゆる「読書」とは何か違うという感じがします。ではいったいどこが違うのだろうと、ずっと考えていました。

「出版社によるきちんとした編集が入っているかどうかの違いだよ」という人もいます。確かにそれも一理あるような気がします。でも、ウェブにだって素晴らしい文章はたくさんあるし、逆に、書店に並ぶ本の中にも首をかしげたくなるような物もあります。やはり何だか納得できない。

さらに悩んで私がたどりついた答えは、「コストをかけたかどうか」でした。文章を読んでいると、なんだかちょっと難しいな、よくわからないな、と感じることがありますよね。そうすると、「もう読むのやめちゃおうか」と思うのは自然な感情です。でもそのとき「お金を払って買ったんだからもったいない」と感じると、もう少し頑張って読み続けるのではないでしょうか。あるいは図書館で借りてきた本でも「わざわざ図書館まで行ったんだからもったいない」と感じるかもしれません。いっぽう、ネットの文章はほとんど無料で、クリックひとつで読めてしまいますから、その文章をやめて他の文章を読み始めることに、なんの疾しさも感じることはありません。

文章の中で、自分と異なる意見に出会ったときにも、同じような反応があるはずです。例えば、あなたが原発に反対だとして、ネットで「原発を再稼働させるべきだ」という文章を見つけたらどうしますか。舌打ちのひとつもして、すぐに他の文章を探し始めてしまうのではないでしょうか。その結果、自分の意見に合致する文章ばかりを読むことになるという現象は、「サイバーカスケード」と呼ばれ、ネット上の意見が先鋭化しやすい理由のひとつと考えられています。でも、それがお金を出して買った本ならば、「こいつの意見は気に食わないけど、一応もう少し読んでみようか」と思い、先を読み進めるかもしれません。

知識だけならばいくらでも手に入る今の時代に、ますます重要になってくるのは、「わからないことをわかろうとする力」であり、「自分と異なる意見から何かを学べる力」です。読み続けるのがちょっとしんどい状態、言ってみれば「知的負荷」が掛かった状態でこそ、知性は鍛えられます。それは、筋肉に「肉体的負荷」が掛かった状態でこそ、体力が鍛えられるのと同じ理屈です。まずは本を一冊手に入れて、あとは「脳の筋トレ」のつもりで、最後まで読み切ってみませんか?

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