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メディアが伝えるもの

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先日、駒込にある東洋文庫ミュージアムを訪れました。ここは、東洋学の研究図書館である東洋文庫に併設された博物館で、蔵書の中から国宝や重要文化財、絵画、浮世絵などを展示しています。その中でも圧巻なのが、以下の画像のモリソン書庫です。これは、ロンドン・タイムスの記者であったモリソンが収集した2万4千冊からなる書庫を再現したものだそうですが、その前に立つと、その迫力と美しさに圧倒されます。


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ところで、最近では電子書籍が多く流通するようになりアマゾンなどで購入することができます。そこで、この2万4千冊の本が電子書籍であったとしたらどの程度のデータ量になるのかを計算してみましょう。電子書籍は、文章であればテキストデータとして保存できますが、図や絵であれば画像として保存しなければならないためデータサイズが大きくなります。そのため、本を電子化するとこれくらいのサイズになるという値を出すのは難しいのですが、例えば版権の切れた本の電子データを配布している「青空文庫」にある夏目漱石の「こころ」はテキストデータであれば150KB(キロバイト)程度、段落や文字の大きさなどの編集情報も含めたXHTML形式では600KB程度になっています。マンガであれば、全て画像としなければならないので30から40MB(メガバイト)になってしまうようです。

モリソン文庫にある書籍は絵画を含むものもあるようですが、多くが文書であるとしても小説である「こころ」よりも分量はあるのではないかと考えて、500KBから数MB(2MBとします)あたりの範囲で見積もってみることにします。そうすると、2万4千冊は、11GB(ギガバイト)から48GBあたりになります。これは、非常に小さなSDカードに全部収まってしまうくらいの大きさです。

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こんなに大きな場所を専有し、その迫力で圧倒するような文庫全体が、技術の進歩により指先でつまめるような大きさとなってしまったのです。

さて、ここで述べたいのは、やはり技術進歩は素晴らしいという話ではありません。もちろん、それはそれで驚異を感じることです。また、デジタルメディアにはコンピューターによる様々な機能が使える便利さもあります。例えば、分からない単語に触れると自動的に辞書からその単語の意味が表示されるようなことがあります。しかしながら、デジタル情報となってしまったものからは得られないものも実際の本にはあるのです。紙の質感や装丁、本の大きさや重さ、それを入手したときの場所や状況などの思い出、匂いや古さ、肌触り、様々な本の配置やそれらが並んでいる景色、等…。それらが一体となって本と人の関係に重みを与えるのです。紙の本がメディアとして人に伝えてくるのは文章の内容だけではなく、そうした様々な情報が一体化したものです。SDカードに収められたデータからは、モリソン文庫が持つ知識の集積の迫力が伝わってきません。

 

さて、結論として、やはり本物が素晴らしいという話をしたいわけでもありません。コンピューターによっていままでのメディアを電子化すると多くの要素が消えてしまいました。しかしながら、実際の本が持つその他の要素をそのままコンピューターでも再現すればいいということではないでしょう。文章以外に紙質や本の大きさなどを再現するように記録したところで、それはあくまで紙の本を模造しただけで、それらの魅力はあくまで元の媒体が持つ特性です。コンピューターのメディアとしては、Webが、他のページへのリンクや動画や音なども含めたマルチメディアの利用で、従来のメディアではできなかった新しいものを提示しました。コンピューターを利用した電子メディアとして既存のメディアのフォーマットをそのまま電子化する必要性が一方であるとしても、コンピューターによってはじめて可能となるような表現や機能を利用した新しいメディアを考えだすことができて、それがモリソン文庫のような感動を人に与えられるようになれば素晴らしいと思います。

メディア学部教員 太田高志

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