インスタグラムは「音(言葉)の写真」か
2018年1月13日 (土) 投稿者: メディア社会コース
子どもの頃から、不思議に思っていることがある。「絵」には、「動く絵」=映画やTVと「静止画」=写真がある。それに対して、「音」にはテープレコーダーのように「時間軸に沿った記録」はあるのに、ある「一瞬の記録」がないのはなぜなのか。
もちろん理屈をいえば、「絵」については動画だろうが静止画だろうが「ある二次元平面を構成する個々の画素から発する(反射する)光の波が目に入る」という点では共通である。その元になる光の波長が時間軸に沿って変化するのが「動画」、変化しないのが「静止画」ということができる。
それに対して「音」は、「時間軸に沿った記録(再生)」については理解しやすいものの、ある一瞬(といっても最小限の時間幅は必要)の音波(波形)を流し続けてもそれが意味あるものとは感じにくいからなのではないか。ここが、「二次元平面」という「構造化」=意味化が可能な前提がある「絵」と、「音」が大きく違う点ではないだろうか。
変な理屈ばかりこねているようだが、「子どもの頃の疑問」を思い出したのは、2017年の流行語「インスタ(映え)」とはいったい何者だろうと考えだすと、なかなか得心のゆく答えが出ないからだった。
インスタグラムを見ると、美しい観光地の風景(+行った人)や美味しそうなスイーツ、身近なキャラクターグッズや雑貨がかわいい写真として無限と思えるほど発見できる。確かに「素敵」だし「かわいい」。でも、これらが何を意味するのかということが、さっぱりわからない(わかる人もいるのであろう)。日々悩むところであったが、このインスタを卒論のテーマに取り上げている学生に、あるインスタの写真(複数)を見せられて、一瞬「これか」と気がついた。
その写真とは、四角い画面にただ文字が並んでいるだけの「写真」なのだ。試しにインスタで「#言葉」と入れて検索して見ると、次のような「写真」がいくらでも出てくる。(文字だけ引用します)
「さよならもありがとうも言えずに、
この恋を終わらせることはできない。」
「欠点を味方にする
3つのコツ
(と、短所→長所7つの例)」
「相手を信じたいという願望は、
信じきれてないということ。
そして信じたい気持ちが強くなると、
相手を疑う気持ちも生まれてくる。」
なるほどなるほど。それぞれにつらい気持ち、自分をはげます気持ち、ちょっといいこと言っちゃった気持ちなどが、よくあらわされている。つまり、写真じゃなくても、いいんだ。
してみると、スイーツや猫の写真の裏にもこうした気持ち=「言葉」が必ず込められているのではないか。「かわいい」であったり「素敵」であったり「こんなところ行ってきました」にしても、それらの「言葉」を具体化したものが「写真」としてアップされるわけで、一番ストレートなのは「言葉」だけでもいいということか。
ここまで来て気がついたのが、「これが音=言葉の写真」なのではないかということである。ちょっと強引な解釈ではあるけれど、ひとりひとりが持つ切ない、切実な気持ち=言葉を自由にかつ見た目美しく表現して、その上「いいね!」=他者からの承認が得られるなんて、夢のようなメディアである、インスタは。
これで少し納得したつもりなのだが、もっとずっと早くこうした表現をした芸術家がいることに気がついた。よく知られたノルウェーの画家ムンクの「叫び」という作品を、インターネットで結構ですから探して見てください。夕暮れの橋の上で両手で耳をふさぐ人物。「叫び」という作品名が、ある種の強烈な「インスタ映え」(ただしこの場合は不安)を表していることに、感動するのである。 (宇佐美 亘)
「ソーシャル」カテゴリの記事
- 大学院講義(2019.03.05)
- 卒業論文の発表(2019.02.05)
- WEB3Dと地域振興(2019.01.04)
- 高校生のみなさんがメディア学部から世界へ羽ばたくために!(2019.01.23)
- NHK学生ロボコン2018(2019.01.11)