カットする? [ その2 ]
2019年4月19日 (金) 投稿者: メディアコンテンツコース
「カットする?」シリーズにようこそ! 前回の記事では「カット」という言葉の由来を考えた。「カット」というものが、映像制作の仕事でいかに重要か理解してもらえただろうか。
今回のテーマは「シャドー・カット」である。
「シャドー・カット」とは、ある映像作品において「使われなかったカット」のこと。
まさに「カット」され「捨てられて」しまった映像である。映画製作の過程において、編集技術者たちは、通常どれくらいの量の映像を「カット」するのであろうか?
通常の映画の場合、上映時間1分につき20分の映像素材が使われずに捨てられているという。完成品に使われた原料の使用効率でいうと1/20になる。2018年に日本で公開された劇場映画のうち、興行成績上位10作品の平均上映時間は、121分であった。ということは、映画一本あたり「40時間」もの素材が「カット」されている。せっかく撮影されても、これだけの素材が捨てられるのである。
映画史において最も「歩留りが悪かった」といわれる作品は、フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録( 1980 )」である。
編集を担当したウォルター・マーチ氏によると、「地獄の黙示録」の完成品の長さは 2時間25分(145分)であった。プリントされたフイルムは、230時間(13,800分)あった。(撮影されたフィルムはもっとあったということ)ということは、1分につき95分のロス。完成された映画と、フィルム全体の比率は、なんと「1:95」であった。
この作品が「撮影されたが使われなかったフィルムの量」が最も多い世界記録保持者である。しかし、カンヌ映画祭グランプリ、アカデミー賞・作品賞と音響賞など沢山の国際賞を受賞した。いまでは映画史に残る傑作のひとつとして評価されている。「歩留りが悪ければ、作品の出来も悪い」という法則は成り立たないのである。この作品が音響と編集に費やしたポストプロダクションの期間は、2年という長きにわたった。
テレビ局のドラマ製作では、こうした「シャドー・カット」があまりにも多い作品は、予算効率が悪いということで内部批判にさらされることがある。担当したプロデューサーは「歩留り(ぶどまり)が悪い」と叱られるのである。
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