[シリーズ難聴-3]メディア x 聴覚障害支援の研究 = きこえのバリアフリー
2019年8月21日 (水) 投稿者: メディア社会コース
2020年度より新たに「聴覚障害支援メディア研究室」を立ち上げる決心をしたところ、周囲の関係者からポジティブな意見をたくさん頂くようになりました。東京都ではオリンピックに向けてバリアフリー化が進んでいますが、実は「きこえのバリアフリー」はあまり進んでいません。「見えない障害」とも言われる聴覚障害。メディア・サイエンスを活用して、どのような支援が出来るのでしょうか。
前回の演習についてのブログでも述べましたが、聴覚障害者を支援している専門家として、耳鼻科医、言語聴覚士、特別支援学校(ろう学校)の先生、手話通訳者などを思い浮かべるでしょう。実際に、これらの方々が聴覚障害者を支えており、欠かせない存在であることには間違いありません。しかし、インターネットやスマートフォンのような通信機器が普及し、AI(人工知能)やセンサー技術が発展していくミライにおいて、これまでとは違う支援の方法もあるのではないでしょうか。情報工学の専門家が集まっているメディア学部で、聴覚障害者のコミュニケーション支援に取り組むことはとても自然なことなのです。メディア専門演習「聴覚障害理解とコミュニケーション支援」に続き、2020年度より「聴覚障害支援メディア研究室」を立ち上げます。すでに現4年生と3年生の一部が取り組み始めていますが、私自身もいくつかの研究課題に取り組み始めています。今回は、メディア・サイエンスを活用すると、どのような聴覚障害支援が可能になるのかお話しします。
研究室のホームページはすでに公開しており、これから行う研究テーマについても紹介しています。以下の研究を行うには、これまで聴覚障害支援に関わってこられた耳鼻科医、言語聴覚士、特別支援学校(ろう学校)の先生などの助言を頂きながら、新たにICTの専門家の視点を加えることで、これまでにないソリューションを研究・開発していくことになります。
聴覚障害支援メディア研究室 ホームページ http://www.cbi-lab.com
現在、準備を進めている研究は以下の通りです。
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聴覚障害者のコミュニケーションを支援するソリューション調査
聴覚障害者のコミュニケーション手段は多様で、手話、指文字、筆談、口話などがあります。聴覚障害者のコミュニケーションを支援する方法として、ネットワークを通じて手話通訳を行ったり、音声認識により話し声をテキストに変換して字幕を表示させたり、振動するデバイスを身につけたりするものがあります。様々なソリューションの調査を行い、現状の課題を分析し、必要に応じて開発段階へと進展させます。
インクルーシブ教育を補助する教授法やコンテンツの調査
聴覚障害児が学ぶ場として聴覚特別支援学校(以下、ろう学校)がありますが、実はその数が限られているため、必ずしもアクセシビリティが良いとは限りません。一方で、平成28年4月1日より施行された「障害者差別解消法」により、公立の学校は障害のある子どもに対して合理的配慮をしなければ義務違反となります。障害のある者と障害のない者が可能な限り共に学ぶことを「インクルーシブ教育」と呼び、補聴器を装用している軽中度難聴児や人工内耳装用児のように、ある程度きこえるけれど「きこえにくい」児童が、難聴学級に通級しながら小学校の普通級に就学するケースは増えています。このような、インクルーシブ教育にガイドラインはなく、教師、児童、保護者が手探りで日々を過ごしているのが現状です。聴覚障害児が必要とする様々な配慮に対し、ICTを活用している事例を調査し、必要に応じて開発段階へと進展させます。
AN難聴の発見遅れをゼロにするための社会調査
先天性難聴の場合、言語発達の遅れを最小限にするために、早期発見、早期療育が不可欠です。そのため、新生児スクリーニングにより先天性難聴を発見し、療育機関やろう学校と保護者をつなげ、コミュニケーションの指導を行う必要があります。しかし、難聴の発見が遅れるケースがあり、その場合は知的障害児として扱われる場合があります。この要因の一つがオーディトリーニューロパチー(Auditory Neuropaty、以下AN)という症状で、蝸牛機能を測定するDPOAEは正常ですが、寝た状態で脳波を測定するABRは無反応という特徴があります。遺伝子検査(OTOFが多い)、CT(中耳,内耳の形態確認)、MRI(脳幹部、内耳道、蝸牛神経等の確認)を経て、ANと診断されます。また、ANとそれ以外の言語発達障害の両方をもつ障害児もいるため、耳鼻科医だけでは判断ができないケースもあります。なぜ発見が遅れるのかを調査し、「発見遅れゼロ」を目指して解決策について研究を進めます。
聴覚障害児のための動画を用いた動詞学習教材の開発
先天性の聴覚障害児は、聴児が自然と聞いた言葉を覚えるのとは異なり、語彙を増やしたり、文法を学んだりと、意識的に学ぶことで言語を習得します。名詞を覚えて語彙を増やすには紙媒体の教材でも十分と言えますが、動きのないイラストなどから動詞を学習するのは、聴覚障害児にとって困難があります。例えば、少年がコップを倒して牛乳がテーブルにこぼれたイラストを見たときに、聴児であればその様子を想像して「たおす」という動詞と一連の動作が結びつきますが、聴覚障害児にとっては、コップが横になり、牛乳らしきものがテーブルに広がっているイラストにすぎません。コップを「たおす」、牛乳が「こぼれる」、少年が「こまっている」などの動詞を、個別に丁寧に学習していくことで、ようやく全体の意味を理解していきます。このように、これまで紙媒体の教材で多くの時間を費やしていた動詞の学習ですが、動画コンテンツを活用することで学習の時間を短縮するだけでなく、動的な現象について強いイメージを記憶し定着させることが出来るのではないかという仮説のもと、教材の開発を行い検証を進めます。
聴覚障害児がモダリティを習得するための教材開発
モダリティ表現を簡単にいうと、否定と肯定の中間にある意味領域を示す言語表現のことです。例えば、保育園のこどもに「お母さんは2時までにお迎えに来るかな?」と聞いたとしましょう。こどもの答え方としては、「くる」「こない」の他に、「たぶんくる」「くるとおもう」などがあるでしょう。もっと成長すれば、「きっと来る」「もしかしたら来る」「来るはずだ」「来ないはずがない」などと、モダリティ表現の言葉が増えます。聴児であれば、これらの表現を普段の生活で聞き取ることである程度習得できますが、聴覚障害児は意識的に学ぶ必要があります。しかし、モダリティ表現を指導するには、指導者のスキルも問われるでしょう。そこで、前後の文脈も含めた動画コンテンツを用いることで、聴覚障害児にも理解しやすく記憶に残る教材になるという仮説のもと、教材の開発を行い検証を進めます。
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先天性の聴覚障害児でも、手術、補聴器、人工内耳である程度の「きこえ」を獲得できる子どもたちが増えており、しっかり療育をすればきこえる子どもたちと一緒に学ぶ、いわゆるインクルーシブ教育が可能になります。教育現場では状況に合わせた情報提供などの配慮が必要になりますが、まだまだ浸透していないのが現状です。座席を前にしたり、板書をするといった配慮だけでなく、ICTを活用することにより、聴覚障害児の学ぶ環境が改善することは間違いないと考えています。
インクルーシブ教育は、聴覚障害児のためだけではなく、健聴の子どもにも良い影響があります。私たちは聞こえることがあたりまえと感じていますが、聞こえることで自然に言葉を覚え、話をするようになり、ソーシャルスキルを身につけることが出来るようになります。これらのスキルは、6、7歳くらいまでに知らないうちに身につけているため、私たちはそのことについて改めて考えることはほとんどありません。逆に言うと、聴覚障害をもつ子どもたちは、これらのスキルを身につけるために日々療育機関に通い、家庭教育を受け、それでも聴児と同じようにスキルを身につけることが難しいのです。聴覚障害に限らず、障害をもつ子どもと一緒に学校生活を送ることで、健康であることに感謝し、他人への配慮を覚えるきっかけになります。
「きこえのバリアフリー」が浸透するまでには、まだまだ時間がかかるでしょう。メディア・サイエンスを活用した支援方法について、様々な専門家や学生を巻き込んで研究を進めて参ります。
メディア学部 吉岡 英樹
略歴:バークリー音楽院ミュージックシンセシス科卒業後、(有)ウーロン舎に入社しMr.ChildrenやMy Little Loverなどのレコーディングスタッフや小林武史プロデューサーのマネージャーをつとめる。退社後CM音楽の作曲家やモバイルコンテンツのサウンドクリエイターなどを経て現職。1年次科目「音楽産業入門」を担当。現在のコンテンツビジネスイノベーション研究室は2020年度にて終了し、聴覚障害支援メディア研究室として新たなスタートを切る。