[シリーズ難聴-6]「手話」の演習(その1)
2019年11月20日 (水) 投稿者: メディア社会コース
[シリーズ難聴-6]「手話」の演習(その1)
いよいよ、メディア専門演習「聴覚障害理解とコミュニケーション支援」では、「手話」を覚える演習に入ります。家族や周りに聴覚障害者がいないと、手話に触れる機会はなかなかありません。私も、以前はテレビの手話通訳者を見るくらいでした。演習では、手話の歴史について知ることから始まります。
手話に関連する年表をご覧ください。
ド・レペ(フランスの神父)が世界で初めて聾学校を開いたのが18世紀です。その前までは、聞こえない(話せない)人たちは虐げられていました。しかし、手話によるコミュニケーションを教育することが提案されたのです。
しばらくして、世界中でその手話が否定されることになります。1880年にイタリア・ミラノ第2回聾教育国際会議にて、口話法を全面的に支持する決議が下りたのです。これにより、手話ではなく健聴者と同じように声を使って話す教育へと変わっていきます。
日本では明治から大正にかけて、各地に私立聾唖(ろうあ)学校が建てられました。日本では、まだ手話や筆談が中心でした。しかし、昭和初期にはほとんどの学校が口話法になりました。
日本にはもともと「日本手話」がありましたが、1960年代に「日本語対応手話」が使われ始めました。このころから、また手話が教育の現場でも使われるようになっていきます。
1980年代にはアメリカなどでろう文化の権利が主張されるようになり、日本でも1995年、木村・市田により「ろう文化宣言」が発表されました。日本も国として「手話」が言語であることを認め、重要なニュースや災害情報などを伝える際に必ず手話通訳がつくようになりました。
このように、手話をめぐっては過去の様々ないきさつがあり、聴覚障害児を育てる際に手話を取り入れるべきかどうかについて、今でも議論があります。しかし、口話と手話をうまく使い分けることが出来ると良いという研究報告も多数あります。
次回のブログでは、手話の演習の様子をお伝えします。
メディア学部 吉岡 英樹
略歴:バークリー音楽院ミュージックシンセシス科卒業後、(有)ウーロン舎に入社しMr.ChildrenやMy Little Loverなどのレコーディングスタッフや小林武史プロデューサーのマネージャーをつとめる。退社後CM音楽の作曲家やモバイルコンテンツのサウンドクリエイターなどを経て現職。1年次科目「音楽産業入門」を担当。現在のコンテンツビジネスイノベーション研究室は2020年度にて終了し、聴覚障害支援メディア研究室として新たなスタートを切る。
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