昨日までの6日間、数の語呂合わせに始まり、10進法や60進法などの記数法について綴ってきました。今回をもって私の連載記事は小休止となりますが、さてさて何の話題にしようかと悩みました。結果、記進法繋がりで、皆さんもよくご存じの2進法の話にシフトしようかと思います。
ただ、2進法の計算などを語るつもりはなく、どちらかと言うとその基盤である2値論に基づくデジタルに焦点を当て、一方で巻き返しを図るアナログのブームについて少し雑感を記すことにします。2進の基本は、0-1/白-黒/無-有/陰-陽/悪-善/地獄-天国…などの“2値”発想です。2者択一と言ってもいいでしょう。
さて、“アナログ vs. デジタル”という対極論があることはご承知のことと思います。実は、この時点ですでに2値論的発想が始まっていますね。現代社会は、イメージ的には2値を基本とするデジタルが席巻しているように思われます。2進処理をもとに機能するコンピュータの普及の影響が少なからずあるのかもしれません。しかしながら、我々が五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を通じて得る情報は、基本的にはすべてアナログです。つまり、2値(あるいはその2値の集合・複合)では処理されない情報です。
目の前の自然の光景に対しては、視覚が機能して全体を見渡していろいろなことを感じ取ります。もちろん、その空間内には山・海・空・人物などのオブジェクトがあり、その境界(デジタル的発想の起点)がそれとなくは見えています。しかし、脳はあくまで全体を俯瞰して処理します。また、外界から届く音は、時間的に途切れなく聴覚に訴えます。曲調の変化などをそれとなく感じることもありますが、その前後にも音はシームレスに流れ続けており、脳はやはり全体を俯瞰して処理します。嗅覚、味覚、触覚なども、ほぼ常時使用する視覚や聴覚ほどではないかもしれませんが、同じように空間的あるいは時間的に途切れない変化を感知しています。
さて、数学には多くの対極観がありますが,その一つに“連続的 vs. 離散的”というのがあります。数の集合でいうと、連続の代表格が実数です。特徴としては、任意の2数に対してその間に数があるということです。指定された2数を足して2で割ることで常に別の実数が生まれます。一方、離散の数の集合の代表格が整数です。特徴としては、その数体系内で常に隣り合う数が決まるということです。例えば、整数でいえば、6と7は隣り合う数で、この2数の間に別の整数は存在しません。
ちなみに、実数も整数も同じ無限集合ですが、数学ではこれらを区別します。実数は非可算(無限)集合、整数は可算(無限)集合に分類されます。この非可算・可算の違いは、ザクッというと、工夫次第でその数体系のすべての数に番号が付けられる(可付番性≒自然数との間に1対1対応ができる)かどうかです。なお,有理数は整数と同じ可算(無限)集合です。その根拠となる“工夫”(可付番規則)については、少し考えてみてください。
こういう数の性質を踏まえて、「アナログは連続的、デジタルは離散的」と捉えます。ただ、実際には、現在のデジタル情報処理技術は人間の五感を惑わせるほどに進展しており、デジタルデータに接しているのにアナログデータであるかのように感じることが多いです。デジタル写真やデジタル映像は自然に映って見え、デジタル音源の曲は自然に流れているように思われます。しかし、これらはあくまで、人工的で“非自然”であることを再認識しておきましょう。
ここで、口語(話し言葉)と文語(書き言葉)の違いを考えてみましょう。まず、口語の方ですが、これはアナログです。自分の話や相手の話(生の声)を、本来の聴覚機能を使って情報処理しているからです。一方の文語ですが、こちらはデジタルです。どの言語であれ、文字(アルファベット等)は離散的な情報です。文語は、整列された文字列を適度な単位で逐一的に情報処理するので、視覚を通して認知するものの、あくまでデジタルです。なお、書道などの筆記を全体として芸術的に捉える際は、アナログと言えるのかもしれません。
私の若かりし頃は、アナログ技術が主流でした。フィルムカメラの写真や音楽レコード、記録用のVHSやカセットテープなどは、その典型例です。現代は、こうした映像・音像データは0-1デジタル情報となり、コンパクトなUSBやSDカードに収められます。ある意味便利ではありますが、どこか温もりを感じられないのは年のせいなのでしょうか。ちなみに、私は今でも年賀状は手書きです。記している文字情報そのものは先ほど述べた通りデジタルですが、ハガキ全体を一つの作品と見ればアナログです。
さて、それでも最近、フィルムカメラやレコード、カセットテープなどが再流行しているようですね。デジタル疲れが来ているのかもしれません。デジタルの便利さを追求しつつも、アナログの良さに惹かれるのは、人の性(さが)なのでしょう。人間がこの本能的なアナログ感性をもつ限り、AIが人間を凌駕するとされるシンギュラリティーは起きないものと思います。
以上
文責: メディア学部 松永 信介
(2020.01.16)