文責:榎本
私はコミュニケーションの分析が専門ですが、コミュニケーションと言えば会話ですよね。たくさんの会話や言語資料(読み上げ音声や新聞なども含む)を集めたものをコーパスと言います。corpus はラテン語で物体、構造、総体というような意味です。百科事典なんかは資料の総体という意味でcorpusになります。今、世界で使われている言語をコーパスとして収集、整形、公開するということを一つの旗に掲げている国際学会にLRECというのがあります。 Language Resources (LRs) と Language Technologies (LT)の評価に関する学会です。
https://lrec2020.lrec-conf.org/en/
2020年はマルセイユ開催予定でした。5月の11日から16日の予定でした。マルセイユへ行きたさのあまり、すごい必死で英語で論文を書いて、無事採択されていたのです。
「NHKの語学講座」というアプリをインストールして、フランス語の勉強も始めていました。
「まいちにフランス語」半年分の音声も購入して、ダウンロード!これで、通勤の合間に音を聞いて勉強しよう!、フランスに行ったら、颯爽とフランス語で話そう!という意気込みです。
会場は、ファロ宮殿(Le palais du Pharo)というところの予定でした。
ナポレオンIII世がウジェニー皇后のために建造した皇居だったそうです。
WikiPediaを訳していきましょう。Googleフランス語翻訳を使ってます。
Le palais du Pharo est un monument marseillais dont la construction fut ordonnée par Napoléon III pour l'impératrice Eugénie dans la deuxième moitié du xixe siècle. Il appartient aujourd'hui à la ville de Marseille et constitue un lieu d'accueil pour des congrès et diverses manifestations.
ファロ宮殿は、19世紀後半にナポレオン3世がウジェニー皇后のために建造したマルセイユの記念碑です。 現在はマルセイユ市に属しており、会議や各種イベントのレセプションの場所となっています。
マルセイユの紹介ページを見ると、さらにこう書かれています。
http://www.marseille-tourisme.com/en/discover-marseille/heritage/palais-du-pharo/
The Pharo promontory was previously called the Tête de More. Pharo is named after the bay further to the west. The “Farot” was the hillock separating the bay from the open sea.
ファロ岬は、以前はテットデモレと呼ばれていました。 ファロはさらに西の湾にちなんで名付けられました。 「ファロット」は湾と外海を隔てる小丘でした。
The decision to build an imperial residence in Marseille was made by Prince-Président Louis-Napoléon who, during his trip in September 1852, commissioned the architect Vaucher to find a location and draw up plans for the palace. Napoleon III’s architect, Lefuel, took on the project and the City decided to donate the chosen land, the Réserve and the Pharo.
The Emperor never stayed here. After Napoleon III’s death, Empress Eugénie, the sole heir of the Pharo, gave it to the city. The inside of the Pharo Palace was then refurbished for its reincarnation as a school of medicine in 1904.
マルセイユに皇居を建てるという決定は、1852年9月の旅行中に建築家ヴォーシェに場所を見つけて宮殿の計画を立てるよう依頼したルイナポレオン王子によって行われました。 ナポレオン3世の建築家、レフューエルがプロジェクトを引き受け、市は選ばれた土地、レゼルヴとファロを寄付することを決定しました。皇帝はここに滞在したことはありません。 ナポレオン3世の死後、ファロの唯一の相続人である皇后エジェニーが都市にそれを渡しました。 ファロ宮殿の内部は、1904年に医学部として生まれ変わりました。
ただ、造られただけの宮殿、だったんですね。皇帝も皇后も来なかったんですね。。。悲しい宮殿。
Après la chute du régime, les opposants à Napoléon III s'attaquent à tous les symboles de l'Empire. En particulier, la foule détruit tous les emblèmes et ornements napoléoniens qui décorent la façade du bâtiment. À la mort de l'empereur en 1873, la ville de Marseille revendique la propriété du domaine et engage un procès contre l’impératrice, alors unique propriétaire légal. Ceci donne lieu a un virulent procès au terme duquel Eugénie décide en 1884 d'offrir le palais et ses jardins à la ville, à condition qu'ils soient employés à des fins d'utilité publique.
政権崩壊後、ナポレオン3世の敵は帝国のすべてのシンボルを攻撃しました。特に、群集は建物のファサードを飾るすべてのナポレオンのエンブレムと装飾品を破壊します。1873年に皇帝が亡くなったとき、マルセイユ市はその地所の所有権を主張し、当時唯一の法的所有者だった皇后に訴訟を起こしました。この激しい訴訟の終わり、1884年にウジェニー皇后は宮殿とその庭園を都市に提供することを決定しました。
Jusqu'à la fin du xixe siècle, l'édifice sert donc d'hôpital et accueille successivement les cholériques et les tuberculeux. Les bâtiments érigés sur la partie latérale de l'esplanade du Palais ont d'abord été occupés par la Faculté de Médecine en 1890. En 1905 l'Institut de médecine tropicale du service de santé des armées, dite l'École du Pharo, y est créé. Depuis 2012, c'est le siège de l'Université d'Aix-Marseille.
19世紀の終わりまで、建物は病院として機能し、コレラと結核の患者を収容し続けました。宮殿の遊歩道の横に建てられた建物は、1890年に医学部によって最初に占領されました。1905年に、ファロスクールとして知られる軍隊保健医療研究所が設立されました。2012年以来、エクスマルセイユ大学の本部となっています。
Le palais accueille aujourd'hui un centre de congrès.
宮殿には現在、コンベンションセンターがあります。
そこ!そこで会議の予定だったんですよぉおおおお!行きたかったなあ。
いつかまた行くぞ、ファロ宮殿よ!