スローなコンピューティング?(Re:Design of Things)
2020年4月29日 (水) 投稿者: メディア技術コース
ベル稼ぎとリングフィットネスのレベル上げで忙しい毎日ですが(嘘)、大変な状況のなかで通常の行動と異なったことを取らざるを得ない部分が多くなっていますね。生活の指針も、閉塞状態にあっていかに快適にすごせるか、ということに移っているように思います。このような時にあって、コンピューターの使い方を研究している立場から考えることがあります。
今のような状況では、通常時に行えることを遠隔で行えるようにするという機能が求められるでしょう。そうでなくても。普段からコンピューターはより便利な機能、より高い性能、より効率の良いもの、を目指すのが普通ですね。Aというアプリに対して、Bというアプリがより高速である、とか、Cというアプリはより機能が多い、などという風に次々と前のものより良い性能のものが現れ、置き換わっていきます。しかしながらどんどん性能があがっていくと、使う側の人間のほうの処理能力がそれに合わせるのが大変になってきます。ところで、コンピューターも仕事に使うばかりではなく、趣味やレクリエーションに用いられるようになったのですが、そうしたものでも性能や機能の追求はアプリ作成の基本的な姿勢として特に意識せずとも前提となっているような気がします(そうでもないか?)。
話は変わりますが、食事でファストフードというものがあります。Fast Foodというのは、Fast(早い)という意味ですね。すぐに調理できてすぐに食べることができる料理で、ハンバーガーなどで御存知の言葉だと思います。それに対して近年、スローフードという概念がでてきました。これは、効率を追求したファストフードのような食事でなく、食べると言うことに対してもう一度見つめ直し、材料の吟味から調理の手間、それを家族で楽しみながら食事する、という食事に関する全体をより良いものにしようとする運動です。コンピューターの利用もこれと同じようなことが言えるのではということを感じます(ようやく最初の話題に戻りました)。
つまり、効率、高性能、高機能を求めてきた従来の開発基準に対して、スローコンピューティングとでもいうようなアプローチを考えることはできないでしょうか?スローコンピューティングという名前にすると、コンピューターのCPU性能が「遅い」ようなイメージになりそうなので、あまり良くないネーミングだと思いますが、とりあえずスローフードとの連想でそう呼んでおきます(コンピューティングでいいのか?)。例えば、既にそうしたアプリがあるようですが、一日に撮影できる枚数が制限されていたり、撮った画像が見られるようになるまでいくつかの工程を踏まなければならないようなカメラアプリを考えることができるでしょう。昔のカメラはフィルムを使っていたため撮ることができる枚数は限られていました。また、撮影した写真を最終的に確認するには、薬品を使って現像という工程を経る必要がありました。大抵は店にフィルムをだして現像と印刷をしてもらっていたので、一日かそこら待つ必要がありましたね。そうしたことは単に現在のデジタルカメラのような技術がなかったからですが、使う人の気持ちとしては単なる物理的な制約という以上の違いがあると思います。
枚数が制限されていると撮影する対象は非常に吟味します。なんでもかんでも撮っていたらあっという間にフィルムが無くなってしまいますから、ここはぜひ撮影したいと感じる場面でなければシャッターを押さなかったと思います。現像されて写真として戻ってくるのを待つ間も、どんな出来だったかを想像する期待に溢れた時間となっていたかもしれません。写真撮影に対してのそうした気持ちは、今のスマホのカメラアプリなどからは消え去っています。他の例では、紙の手紙には、いつ届くのか、返事はいつ来るか、という待つ間の楽しみがありました。そういうことを考えると、届く時間がランダムなメールアプリなんていうのもいいかもしれません。
かといって、昔のほうが良かったということではありません。今のように手軽に何枚でも撮れて即時に表示されることはもちろん便利ですし、こういう機能があるおかげでメモ代わりに気がついたものを何でも撮っておいたり、インスタグラムに食べたり見たりしたものを投稿して共有するということが可能になったでしょう。このように、機能の進化によって新しい文化や行動様式が生まれます。それは従来は不可能だった凄いことだったりするわけですね。ただ、いろいろな機能がデジタル化されることで、機能の高度化だけが目標になると、現在のスマホ中毒のように人と技術の主従関係が逆になるようなことにも繋がるかもしれません。コンピューターの使用において、便利さの追求という方向性だけでなく人の経験をサポートするということを指針にしてアプリをデザインするということがあってもいいのだと思います。
さて、長文になってしまったでしょうか。最近は少し長い文章だと、もっと短く簡潔にまとめろと叱られる風潮がネットにはあるようです。これも、効率化の考え方なのか、単に長文を読み解く力が弱くなっているためなのか…、なんてことを書くとさらに叱られますね。長文失礼いたしました。
荒川の土手近くを散歩しました
太田高志
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