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私の聖地巡礼

2020年5月19日 (火) 投稿者: メディア技術コース

榎本先生が嘆かれていましたが、私も予定していた学会が、現地での開催がキャンセルとなり、コペンハーゲンに行くことができなくなってしまいました。なんでも、予定していたホテルは専用のアプリで部屋のキーを開けることができたりと面白そうだったのですが、将来訪れる機会があるでしょうか

 

ということで外出できない現在、昔の経験からお話を

 

 

聖地巡礼をしたことはありますか?もちろん、エルサレムやメッカを訪れることではないのはいうまでもありません。アニメや映画の舞台になった場所を訪れることですね。私もいくつかしたことがあります。といっても、アニメ関連ではありません、申し訳ありません。ただ、好きな作品の舞台になった現場を実際に訪れるというのは気分が盛り上がるな、というのは共通しているのではないでしょうか?

 

いくつかあるのですが、今回はタイにある「暁の寺(ワット・アルン)」。これは、三島由紀夫の小説「暁の寺」にでてくる舞台です。三島由紀夫の最後の作品となった「豊饒の海」という四部作の三作目です。これは、第一作に登場する若者が転生を繰り返すというストーリーなのですが(ざっくりしすぎ?)、初めて読んだときには、純文学でこういうSFみたいなものもありなのか!と驚いた記憶があります。まだあまり色々なものを知らなかったのですね。その分、新鮮に感じて、三島由紀夫の文体が好きだったこともあり、惹きつけられました。

 

タイを初めて訪れたときには、ワット・アルンは修復工事中で全体が足場で覆われており、二回目の訪問でようやくその姿を見ることができたとともに、訪れることができました。小説にあるように、船に乗って対岸にある寺に向かって川を渡っていきました。

暁の寺について、小説には以下のような描写がされています。

 

「本多はきのうの朝早く、船を雇って対岸へゆき、暁の寺を訪れたのであった。

 

近づくにつれて、この塔は無数の赤絵青絵の支那皿を隈なく鏤めているのが知られた。いくつかの階層が欄干に区切られ、一層の欄干は茶、二層は緑、三層は紫紺であった。嵌め込まれた数知れぬ皿は花を象り、あるいは黄の小皿を花芯として、そのまわりに皿の花弁がひらいていた。

 

 

塔の重層感、重複感は息苦しいほどであった。色彩と光輝に充ちた高さが、幾重にも刻まれて、頂に向かって細まるさまは、幾重の夢が頭上からのしかかって来るかのようである。 」

 

「暁の寺、豊饒の海(三)」、三島由紀夫、新潮文庫

 

 

なるほど、暁の寺を眺めているときの感想としては、このように思うべきなのか、と再度読み返して感心しますが、自分は小説の舞台に居ることを単純に喜んで、「わーすごいー」程度の心持ちで写真をやたらと撮っているだけでした。体験を文章によって表現できる力によって実際の体験も逆に規定されてしまうかもしれません。とりあえず、そういう浅薄な感動どともに撮った写真をいくつか

 

……

 

と、思ったら!なんとあんなに喜んで撮影した画像のメモリカードが見当たらない

 

申し訳ありません。せっかく書いた文章なのでこのまま載せることにして、ワット・アルンの画像は以下のタイ政府観光庁のサイトを参照してください、シクシク

 

https://www.thailandtravel.or.jp/wat-arun/

 

 

太田高志

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