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鷗外と漱石(その2)

2021年3月21日 (日) 投稿者: メディア社会コース

本日は、漱石の作品における個人と社会との関係についてみてみよう。漱石の作品の中でも、その関係が正義を盾に戦っている作品として描かれているのは「坊っちやん」と「野分」である。坊っちやんも白井道也君も吾が道を行き、悔いることのない点で共通している。「吾輩は猫である」の苦沙味先生は胃痛に悩みながらも意地で権力に抗っているようである。漱石初期の作品は、社会、権力、特に「金」を向こうに回し、ユーモアに包みながら、痩せ我慢をして、潔い。

しかし、「三四郎」を境に漱石の小説は自己の存在をめぐり内に内に向かう。「三四郎」は美禰子との青春の一面を刻んだような牧歌的な物語にも見えるが、繰り返される「迷羊(ストレイシープ)」は、その後の自己と社会との関係を模索していく端緒のようである。漱石は、自己を突き上げるように内に向かい、社会との関係を、その最も近い男女のいくつかの関係に還元し、解き明かそうと苦悶する。

「三四郎」に続く三部作の、「それから」の主人公代助は、互いに好意を寄せていた三千代を友人に譲ってしまう。しかし不幸な三千代に再会したことから、親兄弟の庇護の元に保障された経済的基盤を失いながらも、不義に進む決心をする。「門」では、友人の許嫁を奪い、社会の一員たることを許されない境遇に身を置き、その暴露に怯えながら日々日陰に暮らしていく宗助と御米がいる。そして「こころ」では、自らの利己的な声に従い、騙し討ちのようにお嬢さんと結婚した先生は、Kの自死に直面して自己の存在を問い、否定してしまうのである。一方これらに登場する女性の存在と自我は、不思議なことにこの順番に背後に隠れていき、影のようになってしまう。

近代的な自我と自立の象徴、ヒロイン美禰子もまた旧来の秩序に組み込まれて終わる。美禰子は「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」と呟き、三四郎と別れる。これは、大野淳一氏「岩波書店、漱石文学作品集7の注」によれば、「『旧約聖書』詩篇第五十一篇中の詩句。その『咎』とはイスラエルの王ダビデがその部下ウリヤの妻バテセバと通じ、バテセバを奪うためにウリヤを戦死させたことである。」三四郎は最後に一人「迷羊(ストレイシープ)、迷羊(ストレイシープ)」と繰り返す。自己と他人、社会との関係に悶える、その後に続く作品を暗示している。

さて、わが稚拙な文学評論も以上で終われば、一応首尾一貫した見解が示せていると思う。しかし、こんな単純ではない。三部作と「こころ」にかけての時代には、「彼岸過迄」、「行人」、「道草」という長編がある。「道草」は漱石の自伝的作品と言われ、幼少期の養家との金銭的な葛藤が綴られた小説である。自身の生活が、時代を背景とする「家」の持つ因習によって思うに任せない。その意味で個人の存在と社会との関係をやや迂回しながら論じた感がある。

「彼岸過迄」は、同じ登場人物が交錯する短編からなる、やや異色な長編小説である。しかし、本作に通底するのは、「高等遊民」を自認する叔父を背景にした、自己の存在である。「行人」では、妻の真意を信じられない、語り手である主人公の兄の苦悶が、もはや小説ではなく哲学の論文のように綴られている。兄は弟と妻の関係を疑う。最後に兄は、妻という他者との関係に一筋の光明、安息を見出して閉じられるが、その後に書かれたものが「こころ」である。

遺作となった「明暗」では、妻お延を通じて初めて女性の視点が前面に出たように思う。為政者鷗外は女性の自立を支援していたが、公職に自ら距離を置いた漱石の小説では、登場する女性が主人公に呼応する存在であった。お延という「存在」は、初めて自らの意思で家族、知人を通じた人間関係、社会に対峙している。そして、未完に終わった「明暗」には、水村美苗氏による「続明暗」がある。漱石が完成させていたら「続明暗」になっていたかは知らない。しかし、苦悶の内に再び光明と安息を見出した漱石が見える。傑作である。

余談であるが、昨年度末に筆者の書いたブログの一つに、「2019年度 思い出す事など」がある。これは、漱石の同名の随筆の名を借りたものである。誠に畏れ多い次第である。

(メディア学部 榊俊吾)

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