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第1回シナリオ執筆未習熟者の作品に共通して発生する欠点(あな)

2021年5月 9日 (日) 投稿者: メディアコンテンツコース

みなさん、こんにちは。メディア学部実験助手の菅野です。

私はこのBlogで「プロのシナリオライターを目指すなら見ておいたほうが良い作品」を紹介しつつ、それらの作品と比較する形で、メディア学部の演習「シナリオアナリシス」の参加者が制作した作品に発生しやすい欠点、すなわち「シナリオの欠点(あな)」にときおり触れてきました。

10年以上、シナリオ執筆に関する研究と教育に携わってきますと、学生に限らずアマチュア、プロフェッショナルを問わず出会ってきたシナリオ執筆者もそれなりの数になります。そして興味深いことに、まったく別人かつまったく別作品のシナリオにも関わらず、共通して発生する「シナリオの欠点(あな)」に何度も遭遇してきました。

そこで今回から「シナリオ執筆未習熟者の作品に共通して発生する欠点」と題し、定期的に私が何度も遭遇してきた「シナリオの欠点(あな)」についてBlogを書いていこうと思います。今回取り上げるトピックは・・・

「シナリオライター渾身のアイディアに基づく設定を全部盛り込もうとして発生したシナリオの欠点(あな)」

前述しましたが、このBlogで取り上げて紹介する「シナリオの欠点(あな)」は、確かに東京工科大学メディア学部の演習「シナリオアナリシス」を履修する学生が制作したシナリオによくある「シナリオの欠点(あな)」ですが、別に学生に限ったことではありません。

むしろ今回取り上げた「シナリオライターが渾身のアイディアに基づく設定を全部盛り込もうとして」という事例は、プロのシナリオライターであっても陥りがちな話で、なまじそのシナリオライターが制作スタッフの中で、パワーバランス的に強い影響力をもっていると、他のスタッフが諌められずに、そのまま「シナリオの欠点(あな)」になってしまう、厄介なポイントとなりえます。

過去に私は「シナリオアナリシスでよくある質問(おすすめの映画)その12」で、映画「パシフィック・リム」を取り上げてこう述べました。

http://blog.media.teu.ac.jp/2021/01/post-ba0444.html

「メディア学部でシナリオの書き方を学んでいる学生の中にも、怪獣やロボットの大好きな人はたくさんいて、そういった作品のために、練り込んだ設定や世界観を考えてくることも多いのですが、あまりにも熱が入りすぎて、作中でその設定を語ろうとしたら冒頭30分くらいを設定の説明に費やすことになって全くストーリーが始まらない、なんてことがよくあります」

このときは、あくまでメディア学部のBlogらしくメディア学部の学生を引き合いにだしましたが、これは特にメディア学部の学生に限った事例ではなく、ありがちな例でいえば「○○で大人気作家△△が構想10年の末に送り出す超大作××!」という触れ込みの作品によくあることです。本当にその触れ込みがすべて事実だったとすれば、当然”構想10年”をかけて考案した設定や世界観の情報は膨大な量になるわけで、そのすべての情報提供と理解には相応の時間がかかります。

しかし、映画やドラマといった映像コンテンツの多くは時間芸術作品であり「決まった尺」があります。テレビであれば放映枠に応じた放送時間がありますし、映画はながければ長いほど回転率が悪くなって映画館から敬遠されます。大人気作家が構想10年の末に送り出す作品であっても、無尽蔵に時間を費やすわけにはいかないのです。

「シナリオは映像コンテンツの設計図」と言われます。終わりのない作品の設計図は論外ですし、設定や世界観の理解に手間取りすぎて制作が進展しない設計図では、制作に関わるスタッフたちの問題になります。それは間違いなく「シナリオの欠点(あな)」です。そして「シナリオ執筆未習熟者」ほど、そういったことが想像できないまま、自身の構想にあるすべての情報を作品に盛り込もうとしてしまう傾向にあります。

新規に作品を生み出すうえで、そこに渾身のアイディアを盛り込もうとする情熱は、なによりの原動力であり、それ自体を否定するものではありませんが、お金も人も時間も無尽蔵に投入出来るものではありません。そのなかで何を優先し、何を切り捨てるのか、その判断をするためにシナリオはあるといっても過言ではないのです。シナリオライターはそのためには「シナリオの欠点(あな)」がないシナリオを作るべき、といえるでしょう。

(文責:兼松祥央)

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