鉄道好きの人生(その5)「小さな旅」
2021年9月25日 (土) 投稿者: メディア社会コース
筆者の鉄道好きの絶頂期の一つは、国鉄が最後の輝きを放っていた昭和40年代であった。筆者が小学生の頃である。当時、小学生時代の中でも最も好き放題していた、中学年、3〜4年生であった。当時筆者には友人の同級生M君がいた。そのM君と土曜日の午後は毎週のように小さな旅をしていたのである。
余談であるが、M君は大変勉強ができ(しかも今でいうイケメンで、スポーツ万能、バイオリンも奏で、漫画の主人公のようである)、またお母さんは大変教育熱心な方であったので、よく筆者が遊びに迎えに行くと「今日も遊びに行くの」と言われたものである。当時の筆者には事情を斟酌する心得はなく、いつも屈託なく「はい!」と答えていた。
学校から帰宅して昼食を済ませると寸暇を惜しみ、国鉄千葉駅(現JR千葉駅)に13時前に到着し、10円の切符を片手に、改札を通った。当時の国鉄の最短区間の乗車料金は30円で、子供は10円であった。100円お小遣いをもらってくれば、往復の切符にジュース付きの小さな旅が楽しめたのである。
当時国鉄千葉駅には、東京方面とは反対側に千葉県内を4つの幹線が行き来していた。房総半島を東京湾沿いに走る房総西線(現内房線)、太平洋側を行く房総東線(現外房線)、銚子市に向かう総武本線、そして成田、鹿島神宮方面の成田線である。この4路線には急行列車が運行され、それぞれ「内房」、「外房」、「犬吠」、「水郷」の愛称であった。いずれも総武本線発祥の両国または新宿を始発駅とし、それぞれ、安房鴨川(内回り、外回り)、銚子、鹿島神宮/銚子(成田回り)を結んでいた。
われわれは入場後、構内アナウンスに耳を澄まし、到着する列車のホームに駆けつけ検分し、わずかな停車時間に乗務員と言葉を交わしながら、先頭車の出発音に旅情をかき立てられたのである。当時千葉県内では、房総半島方面は電化が進み、総武本線と成田以降の成田線/鹿島線は非電化であった。急行列車の車両形式は、「内房」、「外房」は湘南色の165系、「犬吠」、「水郷」はキハ28形であった。気動車編成には旧型のキハ55系列の26形、大出力の試作機であったキハ60形が混在することも少なくなかった。またキハ26形の中にはキロ25型グリーン車を改造した普通車もあり、これに乗車した時は少し得した気分になったものである。のちに県内で電化が進展すると、東海道本線から転出した153系も見られるようになった。
なお普通列車では、電化区間がいわゆる横須賀型の111形、旧型の72形等で、非電化では、量産型気動車の先駆けであるキハ17形、外見はよく似ているものの大型車両化したキハ25形、通勤型電車101系の気動車版であるキハ35形、近郊型のキハ45形などがあった。特にキハ35形の900番台はステンレス製で、一際目を引いた車両である。当時気動車王国と謳われた千葉県内の非電化区間の普通列車は、このような多様な車両形式の混成からなり、俗に凹凸編成と呼ばれていたのである。
われわれは、14:07発急行「犬吠」「水郷」(次の停車駅佐倉で切り離し)の発車を見届けると、その後の普通列車銚子行きに乗り込み、10円で行ける四街道駅で折り返し、ブドウ色の旧型国鉄電車72形などで千葉駅に戻った。そして、東京方面行きの三鷹/中野行き101系に乗り換え、西千葉駅で下車し、夕刻の家路に着いた。正確に言うと、10円区間の稲毛まで行き、下車せずに西千葉まで戻るのである。というのは、西千葉/稲毛間には気動車の車両基地があり、車窓から当日最後(往復2回)の車両検分を実施するためである。千葉駅を起点としてバラエティ豊かな車両検分を満喫できる小さな旅であった。
(メディア学部 榊俊吾)
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