鉄道好きの人生(その6)「ああ、上野駅」
2021年9月26日 (日) 投稿者: メディア社会コース
国鉄千葉駅だけで実に多様な車両検分ができたのであるが、上には上がある。北の玄関、国鉄上野駅である。筆者は日曜日になると、図鑑に登場する車両が見たくて、東京に連れてってとよく駄々をこねていた。それではと父に東京駅に連れて行ってもらうと、昼間の東京駅は意外に面白くない。東海道新幹線が開通し、こだま型151系はすでになく、どの列車もいわゆる湘南型153系ばかりなのである。あとは横須賀線111系と通勤型101、103系だけである。総武線カナリア色は見慣れていたので、中央線オレンジ色、山手線ウグイス色(今の黄緑色とは違う)、京浜東北線の水色を見て、流石に東京に来たという興奮を誘ったが、やはり通勤型電車だけを見ていても旅情感は今ひとつである。残念ながら、寝台特急さくら、あさかぜ、富士などを見ようとすると帰宅が遅くなってしまう。そこで向かったのが上野駅である。
まさに目を見張った。目が回るほどであった。電車ではボンネットタイプのいわゆるこだま型181、485系初期型、直流急行型165系、交直両用急行型455、475系、電気機関車ではEF58は言うまでもなく、デッキ型の国鉄旧型電気機関車EF57、EF15、交直両用型EF 81、気動車では急行型キハ58系、特急型キハ181系、キハ81形である。これらが入れ替わり立ち替わり行き来したのである。残念ながら、キハ81形の改良型量産車キハ82形は当時上野駅で見ることはできなかった。キハ82は陸路の女王と呼ばれた優美な名車で、筆者の記憶では、1969年の3月に上野駅にしなやかに入線した姿がある。急行佐渡(165系)に乗車すべく上野駅で入線を待っていた時である。その日から7年の後、紀勢本線くろしおで、白浜から天王寺までキハ82に乗車できた。途中上下交換するキハ81くろしおを見かけた時は胸が高鳴った。後述する、つばさキハ181系は、優美なキハ82の姿を踏襲しながらも、若干無骨にした感じである。
さて、上野に足繁く通った1970年当時は、昭和43(1968)年10月1日の白紙ダイヤ改正、いわゆる「ヨンサントオ」を経た、国鉄在来線が最後の輝きを放っていた。それゆえ上野駅を発着する列車は、車両形式も新旧多様で、運行列車も多彩であった。当時上野で検分した看板列車を思いつくままに挙げてみよう。
東北、奥羽本線方面では、特急やまびこ盛岡行き、ひばり仙台行き、あいづ会津若松行き、やまばと山形行き、などは交直両用型485系であった。東北本線黒磯で直流区間から交流区間に変わる、いわゆるデッドセクションを通過するからである。北陸地方も交流区間で、上野を発着する、はくたか、白山の金沢行きもそうである。同じボンネット型でも、上越線とき新潟行き、信越本線そよかぜ中軽井沢行き、あさま(浅間)長野行きは直流の181系で、車両形式以外にも、このボンネットこだま型には、先頭部の塗装(逆三角形の国鉄特急エンブレムを挟む「ひげ」部分)に若干の違いがあった。
気動車特急では、奥羽本線経由つばさ秋田行きはキハ181系、同じ秋田行きでも上越線、羽越本線経由いなほ(稲穂)はキハ81形であった。なぜ経路が異なるのか。実は、奥羽本線福島/山形県境にある板谷峠は急勾配の難所であったので、500PSの大出力機関を持つ当時最新鋭のキハ181系つばさは奥羽本線経由であった。1971年だったと思うが、筆者は夏休みに山形に行った。往路はキハ58系急行ざおう(蔵王)が板谷峠を歩くような速さで登板し、復路は181系つばさが軽快に下っていった。しかし、181系はずいぶん揺れた記憶がある。上野駅の終着駅型ホーム(行き止まりのホーム)に入線する、キハ181つばさの轟音、常磐線ひたち(常陸)のプレートをつけて入線するキハ81いなほは西ドイツ国鉄TEE VT11.5を彷彿とさせ、上野駅検分の白眉であった。今では時効であろうが、停車中のいなほの運転席を見せてもらったこともあった。いずれの看板列車も遙かな旅路を想い、旅情を掻き立てる愛称が馴染んでいた。
ここまで拙稿を読んでいただいた鉄道好きならば肝心なものが欠けていると思うであろう。東北本線を象徴する「はつかり(初雁)」583系である。583系は電車寝台特急という野心的な設計であるが、その先頭車両の形状は国鉄末期に量産された特急型車両の雛形にもなった。これも残念ながら帰宅が遅くなるので検分が叶わなかった。もちろん、「はつかり」の名声を世に知らしめたのはキハ81であったことは言うまでもない。
最後に余談であるが、東北新幹線全線開通に伴って新型車両E5系の愛称が公募された。当然、第一位は「はつかり」であった。E5系の塗装色から「はつね(初音)」も上位になったという。しかし、結果は熊本行き寝台特急で使用されていた「はやぶさ」である。理由が、当時地球に帰還した惑星探査機に因んだのかは知らない。今度こそ「はつかり」復活を信じていた鉄道好きは何を思ったであろう。降る雪や国鉄は遠くなりにけり、である。
(メディア学部 榊俊吾)
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