第10回シナリオ執筆未習熟者の作品に共通して発生する欠点(あな)
2022年1月16日 (日) 投稿者: メディアコンテンツコース
みなさん、こんにちは。メディア学部実験助手の菅野です。
今回も「シナリオ執筆未習熟者の作品に共通して発生する欠点」として、定期的に私が何度も遭遇してきた「シナリオの欠点(あな)」について書いていこうと思います。今回取り上げるトピックは・・・
「ラブロマンスの結末に関するシナリオの欠点(あな)」です。
何度かこのブログで述べてきたことですが、今も昔も「恋愛」はシナリオの人気テーマなので、毎年私がチェックするシナリオのジャンルでも特に提出が多いジャンルの一つです。
シナリオを読む側(最終的には映像作品を見る側)にとっても、シナリオを書く側にも人気のジャンルである理由や原因は色々あると思いますが、私が考える最大の理由のひとつは「主人公が作品全体を通して解決する中心的課題(セントラルクエスチョン)がわかりやすい」という点です。
少々無粋で語弊のある言い方になってしまいますが、恋愛モノのシナリオは基本的に「登場人物Aと登場人物Bが、紆余曲折を経て、結ばれる」という筋立てになるので、セントラルクエスチョンは「登場人物Aと登場人物Bは果たして結ばれるのか?」という問いかけになり、その過程で起こる様々な出来事や問題をいかにクリアして、その都度、受け手(観客)に、「登場人物Aと登場人物Bは果たして結ばれるのか?」と思わせ続けることが重要になります。
最近は同性婚の制度が広まりつつあることもあって「登場人物Aと登場人物Bは果たして結ばれるのか?」という表現にしましたが、異性同士であろうと同性同士であろうと、恋愛成就の過程をいかに魅力的かつ興味を引く内容にするかは、シナリオライターとして最も工夫すべき部分であり、一見どう考えても結ばれないであろう条件と状況におかれた者同士の恋愛を描くことに苦労するのはまだしも、安易に両者が結ばれてしまって過程になんの興味も抱かれないようなシナリオを書くことは避けねばなりません。
安易に結ばれないよう、さまざまな工夫が凝らされたラブストーリーのシナリオは、私自身がチェックしていても大変興味深いと感じるわけですが、そういったシナリオによくある欠点(あな)があります。途中までは恋愛成就のための条件クリアや問題解決のために奔走していることはシナリオに書いてきたのに、肝心の結末部分において「(登場人物Aか登場人物Bのどちらかが)告白して結ばれた」としか書かれていない事例がそれです。
確かに恋愛の形やそこで発生する感情の数々は、千差万別、十人十色で、言葉だけで記述するには限界があるかもしれませんが、それでもシナリオは「映像コンテンツの設計図」であり、映像として表現されない部分は何らかの形で表現する手段を考えなければなりませんし、安易にセリフで告白しただけでは、観客も満足できないでしょう。
以前、私は「シナリオアナリシスでよくある質問(おすすめの映画)その3」で、映画「ローマの休日」を取り上げ、こんな一節を書きました。
http://blog.media.teu.ac.jp/2020/09/post-7ad638.html
『この作品はラブロマンスの代表作としても広く知られていますが、あらすじに書きましたように「最後に恋は成就しない」作品です。男女の恋愛を描く作品なら、基本的には最後には結ばれて欲しいと願うのが視聴者側の心情ですが、この作品ではそうならなくても消化不良感がありません。これは主人公のアンが、恋愛を通じて自分の責任を強く認識するようになり、王女として自立する姿を描いているからです』
しがない新聞記者のジョーと一国の王女アンという、どう考えても不釣り合いなふたりが、ローマの街の散策を楽しみ、アンの追手をかわしながら、互いの魅力に惹かれあい、抱きしめ合いこそしても、別れてそれぞれの道を歩むことを決めた理由が、相手を好きになったからだと示すラストは、この作品がラブロマンスの代表とされる所以でしょう。
告白する、という行動をシナリオに記述すること自体が悪いわけではないのですが、恋愛モノのシナリオを書くなら、過去のラブロマンス作品をたくさん見て、結末のバリエーションを知っておきたいものです。
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