パウエル街の話 その3
2022年1月 5日 (水) 投稿者: メディア社会コース
なぜパウエル街の話しをするかというと、パウエル通りはそこに様々な思いを持つ方がたいらっしゃるのです。
森田さんの御著書を読むと、パウエルストリートは、ヘイスティングス製材所というその当時のカナダの主要産業で、働く人材を欲していたところ、中国人を斡旋する業者が日本人の労働者も斡旋し、その結果側の入り江の筏で暮らしていたそうです。ところが、日本人労働者が沢山入ってくるようになって、理髪店やレストランが出来て、パウエル街には日本人街になりました。
しかし、どこの国でもそうですが、移民排斥の動きが高まり1907年に、暴動が起きることになります。
このために、最初に述べたように、パウエル通りは鳥居も持たず、あまり漢字の建物もありません。もともとパウエル通りは、中産階級のために、電車と電気などが引かれていた住宅地でしたが、そこに多くの日本人が様々な小売業からホテル、銀行(頼母子講)を営みつつ、日本人と感じさせないように暮らしていたそうです。
山崎 晶子
「ソーシャル」カテゴリの記事
- 大学院講義(2019.03.05)
- 卒業論文の発表(2019.02.05)
- WEB3Dと地域振興(2019.01.04)
- 高校生のみなさんがメディア学部から世界へ羽ばたくために!(2019.01.23)
- NHK学生ロボコン2018(2019.01.11)