パウエル通りの話 その4
2022年1月 6日 (木) 投稿者: メディア社会コース
さて、パウエル通りだけではなく、カナダではブリティッシュコロンビアに移民がいたのですが、第二次世界大戦が始まると、政府は殆ど準備の時間を与えずバンクーバーから日本人移民を出しました。
森田さんは次のように書いています。
「正月を過ぎるとまもなく、カナダ政府は18才から45才までの男性を道路キャンプに送ることに決めた。(中略)その後日系人総移動が確定、働き手のいる家庭はアルバータやマニトバ方面の砂糖大根畠に移動、自分で仕事を見つける事のできた家族は二月末までに自由移動していった。(中略)、老人や子ども、病人などをかかえた家族(中略)は、かつての炭鉱町グリーンウッドの廃墟」に定住したそうです。
パウエル通りは静かに日本人町をしていたわけですが、そこでの生業、森田さんの場合は料亭(いろいろあって廃業されたようです)やパイオニア移民(初期の移民)でお店を営業していたものも全て移住をしたのです。
それは今どのように捉えられているのかをパウエル通りの話 5でお話しをしたいと思います。
山崎 晶子
「ソーシャル」カテゴリの記事
- 大学院講義(2019.03.05)
- 卒業論文の発表(2019.02.05)
- WEB3Dと地域振興(2019.01.04)
- 高校生のみなさんがメディア学部から世界へ羽ばたくために!(2019.01.23)
- NHK学生ロボコン2018(2019.01.11)