みなさん、こんにちは。メディア学部実験助手の菅野です。
今回も「シナリオ執筆未習熟者の作品に共通して発生する欠点」として、定期的に私が何度も遭遇してきた「シナリオの欠点(あな)」について書いていこうと思います。今回取り上げるトピックは・・・
「既存作品をパクっているのに悪びれないシナリオの欠点(あな)」です。
東京工科大学メディア学部も2022年度前期となり、新入生を迎える時期となりました。フレッシュな学生たちがキャンパスにやって来る時期であり、嬉しいことに少なからず映像コンテンツのシナリオに興味を持って本メディア学部に入学してきた人もいます。
そして、そんな彼らであるがゆえに、とても純粋な気持ちで自身渾身の作品を提出してくれるわけですが、毎年度よくある相談があります。
「自分が面白いと思う要素を詰め込んだのですが、これってパクりになりませんか?」
正直なところ、その不安をいだける人は自己分析が出来ているという点において既に優秀であり、シナリオライターとして将来有望な素養を持っているといって差し支えない、と私は考えています。
そう考える理由の一つは、「シナリオ」が映像コンテンツの歴史と共に生まれ、進化してきたもので、しかしながら歴史的な経緯から見れば、多く見積もっても100年くらいしか経ていないため、世界的に見てもまだまだ発展途上のものである、という理由からです。
娯楽目的のコンテンツのための生成物としては、音楽分野における楽譜や和製の理論に及ばない部分が多々あり、むしろそれらに学ぶところや、後追いしていると言わざるをえないところがあります。
さらに、シナリオ発祥の観点から言えば、もともとは映像の記録撮影の指示書でしかなかった文書に、劇作の物語(ストーリー)概念を組み込む様になったという時点で演劇や戯曲の後追いであることはいうまでもないので、下手にシナリオが音楽や劇作に先んじた生成物であることを主張すると、恥ずかしい思いをしかねません。
以前、私は「シナリオアナリシスでよくある質問(おすすめの映画)」で、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を取り上げ、こんな一節を書きました。
http://blog.media.teu.ac.jp/2020/08/post-9ad442.html#SynUZae.twitter_tweet_count_m
『この作品「映画の教科書」と呼ばれることもあるほど、映画に必要不可欠な要素をコンパクトに組み込んだ作品で、そのシナリオもまた数々の教則本に取り上げられることが多い作品です。バック・トゥ・ザ・フューチャーのシナリオが載っている書籍は何冊もあります』
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、タイム・トラベルを題材にした代表てきな作品であり、その完成度から影響をうけたシナリオライターは数知れず、それゆえにタイム・トラベルをシナリオのギミックに組み込もうとすると、意識せずにはいられない作品であり、どうしても「パクリになってしまうのではないか?」と考えるシナリオライターは多いです。
ここで重要なのは、誰か、例えば私に相談して「パクリではないよ」と言ってもらうことではありません。シナリオライター本人が、自分のシナリオにおいてタイム・トラベルを題材にストーリーを記述した上で、「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』との違いはこの点です」と、論理的かつ根拠を示し、納得してもらうことです。
いちばんやってはいけないのは、そういった説明もできずに「これは私の完全オリジナルです」と主張してしまうことです。教科書レベルで扱われている作品との違いを説明できずに、自身のオリジナルと言い放つのは、たとえ本当に何も知らずに思いついたことだとしても、問題になりかねません。
はっきり言って、それはもはや「シナリオの欠点(あな)」ですらないのです。敗訴確定の訴訟問題です。事前のリサーチは大事です。気をつけておいて損はないでしょう。