« 工科大メディア学部でのゲームデザイン「ミニ講義」 | トップページ | シナリオアナリシスでよくある質問(おすすめの映画)その41前編 »

第18回シナリオ執筆未習熟者の作品に共通して発生する欠点(あな)

2022年7月21日 (木) 投稿者: メディアコンテンツコース

みなさん、こんにちは。メディア学部実験助手の菅野です。

今回も「シナリオ執筆未習熟者の作品に共通して発生する欠点」として、定期的に私が何度も遭遇してきた「シナリオの欠点(あな)」について書いていこうと思います。今回取り上げるトピックは・・・

「ターゲットを定められずに書かれたシナリオの欠点(あな)」です。

シナリオライターというと、なんとなく真っ白な原稿用紙にペンでイチから文章を書き込んでいくような姿を想像する人は多いと思います。

しかし、シナリオライターがイチから企画を立ててシナリオを執筆することは、実際のところ、ほとんどありません。多くの場合はクライアントやプロデューサーから大まかな企画の内容を説明され、その企画にあわせたシナリオを書く場合が多いです。

とはいえ、依頼された案件であろうと、自分がイチから執筆するシナリオであろうと、よく考えなければならない要素が、その作品を見ることになる「ターゲット」です。これは、言い換えるなら「そのシナリオは誰に向けて書くのか」という命題でもあります。

「誰のために?」という問いがあるとするなら、シナリオ執筆未習熟者には「自分のためにシナリオを書いてしまう」人が多いです。報酬を得るためや、受賞を狙うためなど、そういう意味では確かに自分のためにシナリオを書くことになるわけですが、ここで言う「誰のために」とは、そういう意味ではなく、シナリオの内容自体の話です。

シナリオ執筆未習熟者が勘違いしてしまいがちなのは「自分が面白いと思えるシナリオを執筆できれば評価される」という思い込みです。自身の感性や価値観を信じてシナリオを執筆すること自体は決して悪いことではないですし、執筆者本人の得意分野を活かすこともなんら問題ありません。大いにやるべきです。

しかし、それらがすべての人の理解と共感を得られるわけではなく、ましてその内容を享受する側、消費する側が楽しめるかどうかは別のことだと把握しておくべきです。シナリオを執筆した本人が「面白い」「楽しい」と考えて執筆した内容を、同じように誰もが「面白い」「楽しい」と感じるわけではないのです。

ゆえに「そのシナリオは誰に向けて書くのか」を、しっかり見定めて書く必要があります。「誰でも楽しめるシナリオにしました」と主張することは簡単ですが、本当に「誰でも楽しめる」ようにすることは、決して簡単ではありません。

東京工科大学メディア学部に入学してきて、初めてシナリオの執筆に挑戦したという大学生に「作品のターゲット」を尋ねたとき、最も多い答えのひとつは「10代~から20代前半の、自分と同じぐらいの年齢層」というものだったりするのですが、彼らは自分と近い感性をもった人たちを想定してはいるものの、そのターゲットが、これから作るシナリオのどの部分に理解と共感を示すか、考慮していないことが多いです。

私は「第2回シナリオ執筆未習熟者の作品に共通して発生する欠点(あな)」でこう述べました。

http://blog.media.teu.ac.jp/2021/05/post-883c4f.html

『自分が経験してきた年代かつ記憶にも新しい年齢を設定して「10代の若者」をターゲットに想定したくなる気持ちはよく分かるのですが、それでも「10代の若者」という区分はとても広く、また多感な年齢であることも考慮すると、もっと条件を絞り込んで作品を作らないと、適切な形で受け入れてもらうことは難しいです』

大学生の年齢を考えれば「10代の若者」を自分で経験してきたことは間違いないでしょうが、当時10代だった執筆者と同じように、今現在の「10代の若者」が、その作品を受け止めるとは限りません。それはそのシナリオを享受するターゲットの設定としては理解と共感が得にくくなることを意味し、「シナリオの欠点(あな)」になりうるということです。

こういった感覚のズレは、世代が違うほどに大きくなっていきます。得意分野のシナリオを書くときほど、最終的なターゲットの特徴を見誤らないようにしたいものです。

コンテンツ」カテゴリの記事

« 工科大メディア学部でのゲームデザイン「ミニ講義」 | トップページ | シナリオアナリシスでよくある質問(おすすめの映画)その41前編 »