諸葛亮
2023年4月14日 (金) 投稿者: メディア社会コース
言わずと知れた三国志切ってのスーパースターである。英雄豪傑相入り乱れる作中にあって、知謀計略を駆使する、その超人的な活躍から、字(あざな)の孔明の名で古今の軍師の代名詞になっている。しかもその八面六臂の勇姿は、小説、演劇、ドラマ、映画から漫画、アニメ、ゲームに至るまでメディアを超越して人口に膾炙している。しかし、この諸葛孔明像は、三国時代から千年以上降って明の時代に羅貫中によって書かれた三国志演義という物語の登場人物である。
史実の諸葛亮は、陳寿の著した歴史書三国志の中の蜀書諸葛亮伝にその人物像を知ることができる。陳寿はもともと蜀の官僚で、蜀滅亡後の魏に続く西晋に仕え、三国志を編纂した。三国志演義では敵役の曹操、曹丕は、国家として公文書の作成、保存に力を入れ、一方、もう一人の子の曹植と共にのちの唐詩の基礎を築いたと評価される文人詩人でもあった。その魏に禅譲を迫った西晋にあって、陳寿は魏を正当な王朝と位置付けながらも蜀と呉からなる三国志という歴史書を著した。
諸葛亮伝の中に、諸葛亮自身の手になる出師表(すいしのひょう)がある。漢王室の正統として簒奪国家魏を討伐するに臨み、若い後主劉禅に上奏したもので古来名文の誉れ高い。出師表は、次の一節から始まる。
先帝(劉備)、創業未だ半ばならずして、中道に崩殂す。今、天下は三分して、益州は疲弊す。此れ誠に危急存亡の秋(とき)なり。
そして、出陣後の統治の心得を劉禅に噛んで含めるように教え諭す内容が続く。なかでも、
宜しく私に偏り、内外をして法を異にせしむべからざるなり。
という一文は、近親者を取り立て、敵対する者を一族郎党幼子に至るまで殲滅することが常識の乱世にあって、現代の法治主義に通ずる彼の思想を凝縮している。諸葛亮が、三国志の登場人物中、当時から現代に至るまで唯一尊敬を集めていると言われる所以であろう。
そして後半部は、北伐に臨んで、先主劉備への一途な心情と覚悟が読む者の胸を打つ。
先帝、臣の卑鄙(ひひ)なるを以てせず、猥(みだり)に自ら枉(まげ)て屈し、三たび臣を草盧の中に顧みて、臣に諮るに当世の事を以てす。是に由りて感激し、遂に先帝に許して以て駆馳す。後に傾覆に値(あ)い、任を敗軍の際に受け、命を危難の間に奉じて、爾来(じらい)二十有一年なり。
有名な「三顧の礼」の出典である。続いて、
先帝は臣の謹慎なるを知り、故に崩ずるに臨みて臣に寄するに大事を以てするなり。
この一文に関しては、同じ諸葛亮伝に次の記載が残されている。
先主、(中略)亮に謂いて曰く、「君が才、曹丕に十倍す。必ずよく国を安んじ、ついに大事を定めん。もしよく嗣子輔(たす)くべくんば、これを輔けよ。もしそれ不才なれば、君自ら取るべし。」亮、涕泣して曰く、「臣、あえて股肱の力を竭(つ)くし、忠貞の節を効(いた)し、これに継ぐに死をもってせん。」先主、また詔を為し後主に勅して曰く、「汝、丞相とともに事に従い、これに事(つか)うること父の如くせよ。」
この劉備の言葉から、奥州藤原氏三代秀衡が、鎌倉方の攻撃に備え、義経を主君として仕えてこれを撃つべし、と言った故事を思い出すかもしれない。しかし、時代は羅貫中の二百年近く前であるし、正史との関係は筆者には不明である。四代泰衡は、頼朝の圧力に屈して義経を自害に追い込み、清衡、基衡、秀衡、三代の栄華を誇った平泉も滅亡した。一方、正史三国志は、後年裴松之が諸資料を渉猟し、批判的な検討を行った注が付加されて歴史書としてさらに充実した。その裴松之によれば、上記の劉備が諸葛亮を試すようなくだりは、諸葛亮の人格、力量、地位に矛盾していると指摘されており、興味深い。出師表に戻ると、
命を受けて以来、夙夜に憂嘆し、託府の効あらずして、以て先帝の明を傷つけんことを恐る。(中略)庶(こいねが)わくは駑鈍(どどん)を竭くし、姦凶を攘除し、漢室を興復し、旧都に還らんことを。此れ、臣の先帝に報いて、陛下に忠なる所以の職分なり。(中略)臣は恩を受くるの感激に絶えず。今遠く離るるに当たり、表に臨みて涕泣し、云う所を知らず。
と結ばれている。先主の恩義に報いようと、粉骨砕身、激務に激務を重ねていく姿が思い浮かぶ。
出師表から7年後の234年、諸葛亮は、五丈原で魏の司馬懿(字は仲達)と対峙する中、陣中で没した。享年五十四。司馬懿は蜀の使者から諸葛亮の多忙な執務ぶりや食事の様子など(軍事ではない)を聞き出し、その命が長くないことを確信した。追撃を中止した司馬懿を見て住民たちは囃し立てたという、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と。しかし、司馬懿は、蜀軍の撤退した陣営を視察して、「天下の奇才なり」と言った。
陳寿は、諸葛亮伝の末尾で「諸葛亮は、国民を慈しみ、規則規範を明確にし、官吏の権限職責を規定し、誠意を持って法に基づいた公正な政治を行い、国民からの人望を一身に集めた」と称えた。その上で最後にこう評している。
けだし応変の将略は、その長ずるところにあらざる歟(か)。
(参考資料)「中国の思想」刊行委員会編訳「正史三国志英傑伝Ⅲ」徳間書店、川合康三編訳「曹操・曹丕・曹植詩文選」岩波文庫、田中靖「陳寿の処世と『三国志』」駒澤史学76号(2011)、井波律子訳「正史三国志5蜀書」ちくま学芸文庫、平凡社「世界大百科事典(大石 直正 :藤原秀衡 )、ジャパンナレッジより」
(メディア学部 榊俊吾)
「雑感」カテゴリの記事
- ランニングマシンもインタラクティブな時代に(2019.03.02)
- 映画鑑賞(2019.02.21)
- 転ばぬ先の....(2019.02.19)
- 論文を書くためのソフトウェア(2019.02.18)
- 3学年合同で最終発表してみた(2019.02.17)