「おいしい」と「おもしろい」
2024年4月10日 (水) 投稿者: メディアコンテンツコース
メディア学部特任准教授の安原です。
オープンキャンパスでは、本学で開講している「ゲームデザイン論」の一部をお話しして、「ゲームデザイン」の世界に触れていただいています。
「おいしい」を知らなければ、おいしいものを作るプロの料理人にはならない方がよいと誰もが考えますが、同様に「おもしろい」が分からないまま、おもしろいものを作るプロの制作者になってしまうと、大変な苦労をすると思います。
ヒトは、食べ物の味は味覚で分かりますが、おもしろさはどうでしょう?
こころで感じることはできますが、目や耳、味や臭い、触覚で確認することができないため、相手に伝えることが、とても難しいことなのです。
そのため、ゲーム制作者のデザイン手法の知見は、作家性、個人の才能(暗黙知)として理解され、業界やアカデミズムなど一般の場で形式知化されないままにきました。
好きなゲームを見たままに模倣して作ることで、次の世代に引き継ぐことはできますが、コピーでは、「おもしろさ」は既知のもの、2次創作的なものと認識され、オリジナルを超えるものにはならないでしょう。
そこで、まずはゲームを作るためには、ヒトのこころや行動にまでさかのぼり、ヒトそのもののメカニズムを理解することから始めなくてはいけないことが分かります。
難しいように思われるかもしれませんが、簡単で確実な方法は、自分に問いかけることです。
「なぜ、自分はこのゲームがおもしろいと思ったんだろう?」と問いかけ、ひとつづつ、その理由を羅列することから始めます。
「アイテムを集めた」から、「揃えたら強くなった」から、「クリアした」から、「戦って勝った」から、「うまく敵から逃げられた」から・・その問いかけを繰り返すことで、おもしろいと感じた要素が見えてきます。
実際にそれを組み合わせればおもしろいゲームが作れるのかも?と演習では自由に制作し実践してもらいます。
しかし、そこでなぜかゲームが「作業」を繰り返すものになってしまい、おもしろくならないことに気付くのです。
おもしろく感じたモノを自作のゲームに組み入れても、自分のゲームはどこかおもしろくならない・・初めに学生たちが突き当たる壁です。
そして、おもしろいと感じた要素から抜け落ちたものがあることに気づきます。
「おいしい」には複雑な「うまみ」の要素があるように、「おもしろい」にも見えない要素があるのです。
おもしろいゲームには何が必要なのか、それを大学で学びます。