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物語における「日常」という機能

2024年5月 3日 (金) 投稿者: メディアコンテンツコース

こんにちは。メディア学部の兼松です。

私が担当しているプロジェクト演習「シナリオアナリシス」では、ストーリー分析の方法などを解説する座学パートがおわり、現在、受講生がそれぞれ選んだ作品の分析に取り掛かっているところです。

メディア学部では今年度の1年生から新カリキュラムになり、プロジェクト演習の履修可能数が変わりました。その影響か、もともと聴講生が多かったシナリオアナリシスもほとんどの学生が履修生になり、また受講人数自体もだいぶ増えました。しかも、今年の1年生は特に意欲的で、授業時間内に全員分のディスカッションがおわらないという、ある意味嬉しい悩みを抱えてる状況です。

さて、そんな1年生たちですが、物語を分析する際に苦戦しているポイントに共通点が見えてきました。それは物語に含まれる「日常」というフェイズ(物語に含まれる機能)についてです。

大抵の映画では、大小様々なストーリー、エピソードが複雑に絡み合っています。例えば刑事物の映画だったとしても、最初から最後までずっと事件の捜査をしているわけではなく、中には同僚との確執、ヒロインとの恋愛など、様々な要素が含まれています。これらの毛色の異なるエピソードを視聴者に見せる順番は、究極的には制作者側の自由です。しかし、無秩序に見せていっても、視聴者側は「一体どんな話なのか、何が起こっているのか」理解できません。そこで制作者側は、伝えたいテーマやストーリーを理解してもらえるように、エピソードを出す順番をよく考えて工夫しているのです。この工夫の一貫として、多くの映画では、まず最初に主人公の人物像、主人公を取り巻く環境、世界観などを伝える場面から始まります。私たちはこれを「日常」フェイズと呼んでいます。

ただ、この「日常」という言葉がなかなか厄介ですね。

私は最近時間の合間に、「ダンテズ・ピーク」という映画を見ました。1997年の映画なので今の大学生からしてみれば、だいぶ古い映画ですね。この映画は簡単に言えばパニックもので、火山の噴火という自然災害から様々なトラブルに見舞われながらもなんとか生き延びる、という内容が描かれています。ちなみに映画の途中に画面が激しく明滅する場面があるので、もしご覧になる際は注意してください。

この映画では、冒頭でいきなり火山の脅威から逃げ惑う人々が描かれます。主人公も火山の噴火によって飛んでくる岩から逃げ惑う姿が描かれますし、しかも主人公の恋人はこの飛んでくる岩の犠牲になって亡くなってしまいます。

平和に暮らしている我々の感覚からすれば、こんな地獄のような場面を「日常」とは感じられなくて当たり前です。

ですがこの映画では、こういった経験をしているからこそ、仲間に反対されながらも火山の危険が迫っている人々や街に貢献しようとする主人公の姿が描かれます。ですので、描かれている事象自体が我々の日常からかけ離れていたとしても、「視聴者に対して、まず主人公の人物像を説明する」という意味で、物語における「日常」の機能を果たしている場面だと考えられるのです。

こういったことは始めて物語を分析しようとする1年生にはなかなか難しいですね。シナリオアナリシスでは、学生の皆さんが好きな物語において、何が「日常」なのか、何が「異変」なのかなどをディスカッションできればいいなと思っています。興味がある方はぜひ受講してください。

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