« 鱈のすまし汁 | トップページ | 今年度の卒業研究 »

日光

2025年2月12日 (水) 投稿者: メディア社会コース

先日書いた曾祖母は福島県二本松から山の麓に逃れてその人生をそこで過ごしたが、父方も戦いに敗れたが上京して教育を受け、その成果をもって故郷に帰った。そのため、19世紀に生まれた曾(?)祖父は、その昔は資料館があったらしいが、現在はホームページでその写真も見ることがで出来る。郷土の出身者として市が曾祖父に関する本を発行してくださって末裔のしんがりにいる私としてもありがたい限りである。しかし、その曾祖父が何を語ったのかは私は聞いたことがない。

 親戚というのは遠すぎるが父方の曾祖母のいとこは、巌頭之感 という遺書をしたためて日光の華厳の滝で亡くなっている。親戚は様々なことを伝えてくれて、それはここにあるwikipediaにあるものとは少し違う。15歳の時にその言葉を初めて読んだ時と異なり若い人を長年過ごしてその可能性を知った今の私は、どんなに切羽詰まった状況にあっても、後もう少し生きてくれれば必ず何かチャンスがあったのにと思うばかりである。

                      山崎晶子

雑感」カテゴリの記事

« 鱈のすまし汁 | トップページ | 今年度の卒業研究 »