さて、今日はニュースの作られ方について考えてみたいと思います。
普段私たちは生活のなかで、学校や職場と家との往復で過ごしていることが多いと思います。もしインターネットやテレビ・新聞などが伝える「ニュース」がなかったら、私たちが知ることのできる情報はかなり限られてくることでしょう。
ここでいうニュースとは、以下のように定義することにします。
① 新しい情報(NEWS)
② 大勢の人々の利益に関わる情報(大勢の人々が関心を持つ情報)
③ 新聞・テレビ・インターネットなどのメディアが伝える情報
ところで、皆さんはジャムを買ったことがありますか?スーパーマーケットなどで、瓶詰めにされたさまざまなジャムが並んでいますよね?先日、私はある公園で杏(あんず)の実を大量に拾ってきました。それを家人がジャムにしてくれたのですが、それが酸っぱくてとても美味しかったのです。スーパーで大量生産されている杏ジャムとは、まったく味が違いました。その時私はジャム工場で大量に作られ、瓶詰めされていくジャムの姿を想像しました。工場では、大勢の人々の好みに合うように、酸味の少ない杏を原料に選び、甘みを加えて、お腹も壊さないように何か工夫を加えているかも知れません。同じように「ニュース」も作られていることはないのでしょうか?
例えば、テレビ・ニュースについて考えてみましょう。30分のニュース番組では、1項目のニュースの時間は大体1分〜3分で伝えられます(大地震などの大ニュースは異なります)。そして順番は、テレビ局が考える重要なニュースから放送されます。トップニュースという言葉は、最も重要なニュースという意味で使われています。
でも、ちょっと待って下さい。私がスーパーのジャムを食べて、杏(あんず)本来の酸っぱさを知らなかったように、私たちに伝えられたテレビ・ニュースはその出来事のすべてを伝えているわけではないのです。
それはテレビ局が選び、テレビ映像に作り替えられ、1分〜3分に編集された「出来事」の姿であり、しかも私たちの口にあうように何らかの加工がなされているかも知れません。このようにニュース工場(メディア)が、「出来事をニュースに作り替える」際に用いるパターン化され、慣例化され、反復された実践形態のことを「メディアのフレーム」と言います。ニュース工場で、出来事をニュースという瓶に詰め込んでいるイメージかも知れません。
アメリカの社会学者タックマン(1943〜)は、1966年からテレビ局、新聞社、ニューヨーク市庁で観察を行い、「ニュースを制作する人々がどのようにして、われわれが共有する市民生活に影響を与える事実を確定し、またイベントや議論に特定の枠組みを設定するか」を調査しました。その結果、1978年に出版された『ニュース社会学』という著書の中で、「新聞やテレビの送り手によって製造されているニュースは、変革を阻害し、現状の秩序を再生産している」と主張しています。フェミニズム研究者だった彼女は、1960年代の「メディアのフレーム」が女性解放運動に否定的だったことを見抜いたのです。
さて、あなたが接しているニュースは誰がどのようにして作ったものですか?「ニュース工場」をイメージすることから、メディア・リテラシーは始まるのかも知れません。
参考文献:佐藤卓己『メディア論の名著30』ちくま新書(2020)
メディア学部、山脇伸介