雑感

デジタル絵とアナログ絵

2020年3月20日 (金) 投稿者: メディア技術コース

こんにちは。今日はまじめな学問や学会の話からは外れて、趣味の話をします。筆者は音声信号処理を研究していますが、趣味でCGの落書きイラストを描いているのでデジタル画像の恩恵を受けています。Photoshopは使いこなせないのでIllustratorというソフトで、ベクター画像(曲線を制御点と呼ばれる座標点の集合で定義したタイプのデジタル画像)をもっぱら使っています。デジタル画像にすることで、グラデーションや重ね合わせ、また曲線・色の編集やコピーが自在になります。しかし、素人としてはなかなかマウスやペンタブレットで一から作図することはできず、結局紙にペンで書いたアナログ絵をスキャンしてからIllustrator上でペンタブレットを使ってなぞるという作業をしています。

Kounotori004

Vチューバー風

Shitagaki

紙へ太字ボールペンで下書き

なぜそんな二度手間をしているかというと、(お手頃価格なバージョンの)ペンタブレットよりも紙に書いたほうが視覚的にも体性感覚的にもフィードバックに違和感がなく、直観的に線が引けるからです。

普段は使わない色塗りまでアナログですると、色々気づくことがあります。CGソフトでも、絵具のかすれや重なり、ぼかし、にじみは再現できるものの、例えば実際に物理的にクレパス同士が塗り重ねられたり混色されたりする様子を見ながら描くほうが現実感を感じながら塗れるように思います。アナログとデジタル、どちらもそれぞれ特色がありますね。

とはいいつつも、専門であるサウンドについてはもっぱらデジタル音源ばかりで、音楽でアナログレコードを聴いたりはなかなかしないのですが・・・。

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「フーズフー(食堂のある建物)の前にいるネコ」
紙にオイルパステル(クレパス)で着色

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「学食のワッフルと八王子ナポリタン(玉ねぎを乗せたパスタ)」
紙にマーカーペンで着色

メディア技術コース 越智

2020年3月20日 (金)

2019年度 思い出す事など

2020年3月 8日 (日) 投稿者: メディア社会コース

今回の連続投稿の最後に、2019年度の筆者の研究活動を、ゼミ生の学会報告を中心に振り返りましょう。

2019年度は、ライラックの咲き誇る初夏の札幌大通り公園に始まり、梅香る水戸偕楽園へと続きました。この後3月に、記録的な暖冬を受けて桜舞う福岡大濠公園を尋ねられるかもしれません。今年度の足跡を以下に記しましょう(カッコ内は参加したゼミ生数)

情報文化学会北海道支部会、525日、北海道大学

ビジネス科学学会全国大会、629日、福岡中村学園大学(3)

情報コミュニケーション学会、721日、明治大学(1)

情報文化学会関東支部会、829日、本学八王子

進化経済学会オータムコンファレンス、912日、高山市民文化会館

情報文化学会全国大会、105日、東京大学(5)

社会経済システム学会全国大会、1026日、名古屋工業大学

社会情報学会第1回中国・四国支部会、1214日、島根大学(3)

社会情報学会第2回中国・四国支部会、21日、高知大学(1)

社会情報学会関東支部会、216日、茨城大学(2)

ビジネス科学学会九州支部会(参加予定)320日、福岡中村学園大学

それぞれの学会で、自分自身、そしてゼミ生の研究指導において、飛躍につながるヒントが得られました。学会の意義はこの点にあります。しかしここでは、研究以外に印象に残った、ささやかな出来事を記しておきましょう。

まず、5月の札幌は、文字通り風薫る、最も爽快な季節にあります。ただ、東京と違い、朝晩はまだ冷え込みも厳しく、開催校のT先生からは一枚羽織るものを決して忘れないようにとのご案内がありました。しかし、当日は真夏日に迫る蒸し暑い日で、学会終了後に、若干過ごしやすくなった広大なキャンパスを歩いていると、あちらこちらで学生たちがジンギスカンの煙を立てていました。T先生が恐縮していたことは言うまでもありません。

6月の福岡では、少し気を揉む出来事がありました。二人の学生が学内研究費を少しでも節約しようと気を利かし、非常に安いパックツアーを申し込んでいました。しかし、成田発着のLCC利用だったことに気がつかず、しかも早朝出発、夜遅くの帰着便で、二人とも女子学生ということもあり、無事に参加できるか、帰りは終電に間に合うか、連絡が来るまで大変心配になりました。二人とも無事に、立派に報告し終えたことは言うまでもありません。

御茶ノ水は、筆者にとって、思い出深い地です。その昔通っていたS予備校の界隈には、湯島聖堂の深い緑、ニコライ堂の鐘、山の上ホテルのたたずまい、漱石とも縁のある井上眼科の洋風建築、カルチェ・ラタンを思わせる駿河台などがあり、今時の東京とは異なる雰囲気に包まれていました。そして何より、総武・中央線の上りホームから見た、神田川、丸の内線、聖橋の交差がこの街を象徴していました。物心ついた頃から、これが東京だ、と強く焼き付いた風景でした。今では、明治大学もリバティータワーがそびえ、医科歯科大の病棟も様変わりしました。しかし、バス通りに楽器店が今も軒を連ね、一歩脇に逸れた静かな通りに残る匂いは、この街の矜持に違いありません。

高知といえば、鰹のタタキを思い浮かべる人も少なくないでしょう。しかし、本場でも高価な料理であることを知りました。高知駅にある全国的な居酒屋チェーン店で見た品書にやや驚いたくらいです。昨年ははるかに値段の安かった(確か六掛けくらい)マグロ丼を食べたことを思い出しました。ポン酢だけでなく、塩でも食べるようです。余談ですが、戦前生まれの父はタタキでは物足らず、刺身に限るとよく言っていました。さて今年は、タタキも少しいただきましたが、ウツボを初めて食べました。これも名物の唐揚げでしたが、皮がうなぎのように歯応えがあり、身は淡白で滋味深いものでした。強面の顔ながら、これだけ美味しいと哀れです。

216日開催の社会情報学会関東支部会では、見頃の梅咲く水戸偕楽園に立ち寄るつもりでしたが、春とは名のみの冷たい雨の降る天候のため、「ひたち」の車窓からの眺めとなりました。この時期、梅祭りが開催され、列車は水戸駅ひとつ手前の偕楽園駅に臨時停車します。ホームでは、晴れの衣装のミス偕楽園が二人笑顔で観光客を出迎えていました。受験もいよいよ佳境に入るこの時期、好文木は、水戸駅周辺にも、気品ある香りを漂わせていました。

梅が香にのっと日の出る山路哉(芭蕉)

(メディア学部 榊俊吾)

2020年3月 8日 (日)

二番目も大事です

2020年2月20日 (木) 投稿者: メディアコンテンツコース




「二番ではダメなんですか?」というフレーズが、一時期流行となりました。私の答えは「二番も大事」と決まっています。特に、映画の撮影では絶対にそうなのです。

映画のオープニングタイトルで、クレジットされるのは、監督、カメラマン、編集マン、作曲家、キャスティングディレクターなど「一番メインのスタッフ」と決まっています。ところがエンド・クレジットをよく見ると「二番目」の人たちの名前も載っているのです。みなさん、お気づきだったでしょうか?

その二番目の人たちは「セカンド・ユニット( 第二班 )」と言って、メインのスタッフが撮影する余裕の無いシーンを担当するのです。遠方の海外ロケや、俳優が登場しない情景シーンなどを担当することが多いです。

ジョージ・ロイ・ヒル監督の名作「明日に向かって撃て」でも、その第二班が活躍しました。第二の監督の名前は、ニッキー・ムーア、第二のカメラマンは、ハロルド・ウェルマンと言って、メインのカメラマンである、コンラッド・L・ホールの親友です。

この映画で彼らが担当した仕事が、実はまさにオープニングタイトルの映像だったのです。ブッチ・キャッシデイとサンダンス・キッドが活躍した時代の列車強盗のシーンを、古びたクラシック映画のテイストで撮影しました。悲しげなトーンのピアノと、この映像の組み合わせがあまりに良くて、肝心のメインスタッフのクレジットが頭に入らないくらいです。

私自身は、実はこのオープニングタイトルは、何か昔の映画のフィルムを拝借して作ったものとばかり思っていたのですが、最近これが、セカンド・ユニットによって新たに撮影された映像であったと知りました。騙されるほど、よくできたクラシック映画のシーンですし、メイン監督のジョージ・ロイ・ヒル監督もとても気に入っていたとか。

「明日に向かって撃て」では、このように本編とテイストを別にする挿入シーンがいくつかあって、それが映画全体を引き締めて、いい意味での気分転換となっています。「雨にぬれても」の挿入歌で有名な自転車シーンもその一つで、ともすれば悲劇的なトーンになりそうなこの作品に、永遠に消えない明かりを一点灯しています。「第二のチーム」が残した映像も、あちらこちらでこの映画を引き締める役割を果たしています。

撮影賞も含めて、アカデミー賞を三つも受賞したこの作品ですが「二番目」のクルーの働きがなければ、ここまでの名作にはならなかったはずです。「二番目」あっての「一番目」だったのです。ということで、私の答えは「二番目も大事」なのです。

さて、現代の日本に目を向けてみましょう。
「一番」や「二番」と、順位を競うというのは社会のひとつの仕組みでもあります。

大学でもやはり、良い成績をとることは大事です。しかし大学での勉強や研究で、もっと大事にされていることは「独創的」であることかもしれません。たとえ何番目であろうとも、自分らしく自分の視点でものごとを考えることこそが重要なのです。

みなさんも、大学に入学したら、順位や競争から一旦フリーな気持ちになって「自分らしい研究テーマ」をみつけてみてはいかがでしょうか。


(この記事は、佐々木の個人ブログの記事から転載・修正したものです)

 

2020年2月20日 (木)

ショーウィンドウ

2020年2月19日 (水) 投稿者: メディアコンテンツコース



ショーウィンドウというものは「ショー」というくらいだから、お店の品物を展示して見せるためのもの。でもこの絵のように「これでもか」と品物を詰めて並べたウィンドウには時々驚かされます。

古い石造りの建物にむりやり開けたようなドアとウィンドウ。しかたなく、こんな詰め込みになってしまうのでしょう。ヨーロッパの古い街角で、よく見かけるスタイルですが、日本で見たらこれは質屋さんかな。

このお店はいわゆる金物屋。時計やら工具やら小物がいっぱい並んでいるだけなのですが、遠くから見るとなんだか博物館のようです。前を通るたびに、ついつい惹かれて近寄って見るのですが、結局一度も中には入りませんでした。

でも、外から見ただけでこのお店の「気持ち」がわかったような気もします。

人間にもこんなウィンドウがあったらいいかもしれない。通りすがりの人から「いい心がけですね」とか「すごいもの持ってますね」とか覗いてもらえます。


コンテンツ・コース 佐々木が担当しました。

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[ 追記 ]
この文章を書いた後で、この記事を読んでいただいた大先輩から、以下のコメントをいただきました。まったくそのとおりでした。SNSを使う時には、ショーウィンドウに品物を並べるように、心を込めて丁寧にやらなければならないですね。

「人間にとっては、フェイス・ブックなどがショーウィンドウなのかもしれませんね」


(挿絵は、ポーランドの小都市チェシンの裏通り)




 

2020年2月19日 (水)

図と説明文の話

2020年2月18日 (火) 投稿者: メディアコンテンツコース

鶴田です。

先日、Taylor's Universityのみなさんが来学した際に、日本文化の紹介として折り紙のワークショップを行いました(大学からのお知らせはこちら)。

ワークショップは1時間予定されていたので、折り紙の数学や歴史、技術応用の話をした後、簡単な箱の作品を折ってもらうことにしました。
しかし、手元にあるのは日本語の折り図です。当然みなさん読むことができません。とはいえ図が書いているのだから日本語が読めなくてもおおよそ理解できる気もします...。

迷った結果、全部翻訳するのは手間がかかるので「難しそうな手順だけ英語の訳を付けた」のですが、結局「難しい部分は英訳があっても間違える」という結果になりました笑

さて、折り紙の手順を示した図では下記のような説明文が付いていますね。この「半分に折る」という説明は本当に必要なのでしょうか?例えば、立川とかにある某北欧家具メーカーの組立説明書は、説明文をなくして、図だけで理解できるようにしています(本当に理解できるかは別ですが)。

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いろんな国のいろんな言語を話す人が入り混じる世の中で、翻訳というのは大変なコストになります。私にとっては、図の在り方についてちょっと考えたワークショップになりました。

2020年2月18日 (火)

大学から見える意外なランドマーク(2)

2020年2月 5日 (水) 投稿者: メディア技術コース

助教の戀津です。

先日の記事に続き、学内から見えるもうひとつの意外なランドマークのお話です。
片柳研究所から都心の方を見ると、頭一つ(という表現はちょっと違うかもですが・・・。)抜けた高い高い建造物が見えます。

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流石に遠いのでズームします。

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更に拡大・・・。

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はい。スカイツリーですね。特徴的なシルエットと、何より大変高いのでわかりやすいです。

探してみたら総務省の公開するこのようなデータがありました。関東広域圏東京親局というのですね。
関東平野の広域にテレビ電波を発信できるように建造されているので、山などに遮られない限り非常に広範囲まで電波が届いていることがわかります。

電波は基本的には直進します。つまり、テレビの電波が届くということは間に何もないということになります。
(厳密には回折や反射といった現象や、中継局などがあるので
その限りではないですが・・・。)
そのため、東京工科大学からは44Kmほど離れていますが、高い位置からであれば視認可能なんですね。

そういう意味ではあまり意外ではないのですが、そんなに遠いのに見えるんだという意味で意外なランドマークのお話でした。

2020年2月 5日 (水)

大学から見える偉大なランドマーク(2)

2020年2月 4日 (火) 投稿者: メディア技術コース

助教の戀津です。

兼松先生、三上先生から紹介があった通り、先週末は本学でグローバルゲームジャムというイベントがありました。
会場は片柳研究所の10階、アクティブラーニングセンターを利用しています。私もスタッフとして参加していました。

さて、先日紹介した通り、本学からは敷地に対しほぼちょうど直角(まっすぐ)の方向に富士山が見えます。
先日は講義実験棟を紹介しましたが、片柳研究所からもよく見えます。もちろん、上階であればなおさらです。

ちょうどよく土曜朝に晴れて空気が澄んでいたので、とても綺麗に見えました。

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冬の朝は寒いですが、その分こういった遠くのものが綺麗に見えるのは嬉しいところですね。

2020年2月 4日 (火)

2値基盤の現代デジタル社会とアナログ感性への回帰

2020年1月26日 (日) 投稿者: メディア社会コース

昨日までの6日間、数の語呂合わせに始まり、10進法や60進法などの記数法について綴ってきました。今回をもって私の連載記事は小休止となりますが、さてさて何の話題にしようかと悩みました。結果、記進法繋がりで、皆さんもよくご存じの2進法の話にシフトしようかと思います。

ただ、2進法の計算などを語るつもりはなく、どちらかと言うとその基盤である2値論に基づくデジタルに焦点を当て、一方で巻き返しを図るアナログのブームについて少し雑感を記すことにします。2進の基本は、0-1/白-黒/無-有/陰-陽/悪-善/地獄-天国…などの“2値”発想です。2者択一と言ってもいいでしょう。

さて、“アナログ vs. デジタル”という対極論があることはご承知のことと思います。実は、この時点ですでに2値論的発想が始まっていますね。現代社会は、イメージ的には2値を基本とするデジタルが席巻しているように思われます。2進処理をもとに機能するコンピュータの普及の影響が少なからずあるのかもしれません。しかしながら、我々が五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を通じて得る情報は、基本的にはすべてアナログです。つまり、2値(あるいはその2値の集合・複合)では処理されない情報です。

目の前の自然の光景に対しては、視覚が機能して全体を見渡していろいろなことを感じ取ります。もちろん、その空間内には山・海・空・人物などのオブジェクトがあり、その境界(デジタル的発想の起点)がそれとなくは見えています。しかし、脳はあくまで全体を俯瞰して処理します。また、外界から届く音は、時間的に途切れなく聴覚に訴えます。曲調の変化などをそれとなく感じることもありますが、その前後にも音はシームレスに流れ続けており、脳はやはり全体を俯瞰して処理します。嗅覚、味覚、触覚なども、ほぼ常時使用する視覚や聴覚ほどではないかもしれませんが、同じように空間的あるいは時間的に途切れない変化を感知しています。

さて、数学には多くの対極観がありますが,その一つに“連続的 vs. 離散的”というのがあります。数の集合でいうと、連続の代表格が実数です。特徴としては、任意の2数に対してその間に数があるということです。指定された2数を足して2で割ることで常に別の実数が生まれます。一方、離散の数の集合の代表格が整数です。特徴としては、その数体系内で常に隣り合う数が決まるということです。例えば、整数でいえば、67は隣り合う数で、この2数の間に別の整数は存在しません。

ちなみに、実数も整数も同じ無限集合ですが、数学ではこれらを区別します。実数は非可算(無限)集合、整数は可算(無限)集合に分類されます。この非可算・可算の違いは、ザクッというと、工夫次第でその数体系のすべての数に番号が付けられる(可付番性≒自然数との間に11対応ができる)かどうかです。なお,有理数は整数と同じ可算(無限)集合です。その根拠となる“工夫”(可付番規則)については、少し考えてみてください。

こういう数の性質を踏まえて、「アナログは連続的、デジタルは離散的」と捉えます。ただ、実際には、現在のデジタル情報処理技術は人間の五感を惑わせるほどに進展しており、デジタルデータに接しているのにアナログデータであるかのように感じることが多いです。デジタル写真やデジタル映像は自然に映って見え、デジタル音源の曲は自然に流れているように思われます。しかし、これらはあくまで、人工的で“非自然”であることを再認識しておきましょう。

ここで、口語(話し言葉)と文語(書き言葉)の違いを考えてみましょう。まず、口語の方ですが、これはアナログです。自分の話や相手の話(生の声)を、本来の聴覚機能を使って情報処理しているからです。一方の文語ですが、こちらはデジタルです。どの言語であれ、文字(アルファベット等)は離散的な情報です。文語は、整列された文字列を適度な単位で逐一的に情報処理するので、視覚を通して認知するものの、あくまでデジタルです。なお、書道などの筆記を全体として芸術的に捉える際は、アナログと言えるのかもしれません。

私の若かりし頃は、アナログ技術が主流でした。フィルムカメラの写真や音楽レコード、記録用のVHSやカセットテープなどは、その典型例です。現代は、こうした映像・音像データは0-1デジタル情報となり、コンパクトなUSBSDカードに収められます。ある意味便利ではありますが、どこか温もりを感じられないのは年のせいなのでしょうか。ちなみに、私は今でも年賀状は手書きです。記している文字情報そのものは先ほど述べた通りデジタルですが、ハガキ全体を一つの作品と見ればアナログです。

さて、それでも最近、フィルムカメラやレコード、カセットテープなどが再流行しているようですね。デジタル疲れが来ているのかもしれません。デジタルの便利さを追求しつつも、アナログの良さに惹かれるのは、人の性(さが)なのでしょう。人間がこの本能的なアナログ感性をもつ限り、AIが人間を凌駕するとされるシンギュラリティーは起きないものと思います。

以上

文責: メディア学部  松永 信介

2020.01.16

 

2020年1月26日 (日)

漢字文化に見る60(六十)という節目

2020年1月25日 (土) 投稿者: メディア社会コース

少し時代と地域は変わりますが、前回に続いて60進法に焦点を当てます。中国発祥の漢字に目を向けてみましょう。日本には紀元5世紀頃に中国から漢字が伝来しましたが、それとともに暦や方角に関する様々な考え方や慣習、宗教感なども伝わってきました。その暦関連に、前回のブログの冒頭で触れた干支があります。しかし、われわれ日本人は、干支=十二支(子・丑・寅・…・酉・戌・亥)と捉えがちです。実際には、干支の“干”は十干(じっかん)、“支”は十二支という中国由来の概念体系にそれぞれ依拠しています。いずれも紀元前の中国で誕生しました。

前者の十干の方は、少し馴染みが薄いかと思いますが、甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・…と続く漢字系列を見たり聞いたりしたことがあると思います。十干の名の通り、10の漢字が使われます。また、この十干の各漢字には、二文字ごとに語尾を少し変化させて表現する別称があります。具体的には、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)です。

ブログの内容が漢字の話にシフトしているように感じられているかと思いますが、ここから60進法の話に戻ります。干支はこの十干と十二支を組み合わせることで、暦(年)を60で回すシステムになります。例えば2020年は、十干でいう庚(かのえ)の暦であるとともに、十二支でいう子(ね)の暦に当たります。それゆえ、それらを連ねて庚子(かのえね)の年と捉えます。話の筋が少し見えてきたのではないかと思いますが、十干の10と十二支の12を組み合わせると、いくつの単位ができるでしょう?

この問題の結論を出す前に、自分の誕生年の干支を考えてみるとよいでしょう。十二支はおそらくわかっていることと思います。馴染みのない十干のヒントですが、2000年は十干で庚(かのえ)です。十干は10年で一巡するので、当然2020年と同じになります。一年ずれる1999年は己(つちのと)で、2001年は辛(かのと)となります。皆さんの誕生年の干支はわかりましたか?

さて、先ほどの十干の10と十二支の12を組み合わせると…という問いに戻りますが、1012の最小公倍数である60が答です。先ほど2020年の干支が庚子であると言いましたが、前回の庚子は1960年で、次回の庚子は2080年ということになります。

古来の中国では、60年という時間幅を人生の一つの節目と捉える向きがあります。これが還暦です。干支とうまく合致した論理的な考え方で納得できますね。ちなみに、120年は大還暦とよばれます。漢字を通して見えてくる60進法も雑学として知っておくとよいかもしれません。

以上

文責: メディア学部  松永 信介

2020.01.15

2020年1月25日 (土)

疎遠なようで身近な摩訶不思議な60進法

2020年1月24日 (金) 投稿者: メディア社会コース

10進法(10進体系)の話が続きましたので、今回はこれまた身近な60進法について雑多な話をしたいと思います。いまの世の中では10進法が主流ですが、1分=60秒、1時間=60分、1日=24時間(12×2)、1月≒30日(60/2)1年=12月=365日(≒30×12)のように、時の長さを捉える際に60やその子分ともいうべき12という数がしばしば使われます。実は、12も意外と身近な存在で、星座や干支は12種で構成されていますし、ダースは12個を繰り上げた単位ですね。

この60進法は、古代メソポタミア文明にその起源を遡ります。メソポタミアが紀元前3000年頃に栄華を迎えた世界四大文明の一つであることはご存知のことと思います。いまのイラクのチグリス河とユーフラテス河に挟まれた地域に興隆した文明です。この黎明期を支えたのはシュメール人で、この民族が60進法を考案したというのが定説です。

当時のシュメール人にとって、ほぼ定期的に起きる自然現象(昼夜の入れ替わり、潮の満ち引き、など)や天体現象(月の満ち欠け、黄道上の星座の巡回、など)は、それが短期であれ中長期であれ、時間感覚を誘因する相対指標となっていました。その際、60は現象の変化を細かく整理するのに非常に都合のよい数だったのです。というのも、この数がその特性として、123456、10、12、15、20、30、60という多くの約数をもっていたからです。約数が多いということは、分割にバリエーションが生まれるということですので、時間を細分表現するのに便利であるという先人の知恵があったものと思われます。そして、この知恵はやがて、時を表す絶対指標の日時計とよばれる文明の利器を誕生させました。

ちなみに、この日時計の話とも大いに関係があるのですが、小学校で円の1周を360°と習います。この360という数は、暦との関連が古くから指摘されています。月の干満のサイクルを塑望周期と言いますが、これは約30日で、それが1年に12回観察されるという経験知から、まずは1年のサイクルを概算で360日と考えるようになりました。そして、同じ一巡りとしての円の1周に360°が採用されるようになったと言われています。日めくり的に円周上をずつ歩むと、1年間でおおよそ元の位置に戻るという道理です。当時としては、Witに飛んだ(機転の利いた)発想ですね。

以上

文責: メディア学部  松永 信介

2020.01.14

 

2020年1月24日 (金)

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