雑感

音と景色の小説

2026年3月19日 (木) 投稿者: メディア社会コース

おとといお話しした寺田寅彦は、夏目漱石が書いた「我が輩は猫である」の登場人物の寒月です。「首つりの力学」などびっくりするような話をしています。この我が輩は猫であるは、猫が歩くのにつれて、新しい景色が見えて、新しい音が聞こえてきます。

二弦琴という私は寡聞にして聞きたことがない琴から、騒ぐ中学生、そして寒月をはじめとした主人の友人たちの雑談や主人の家族など猫の視点から見て聞いたものと、お雑煮を食べて踊る猫という他者の視点が混じり合って、話し声や楽器の音色が聞こえる我が輩は猫であるは、音と眼の小説です。現在のゲームや音楽に通じるものがあります。やや読みづらいですが、是非読んでみてください。

 

  山崎晶子

 

2026年3月19日 (木)

防災センターのすすめ

2026年3月19日 (木) 投稿者: メディア社会コース

地震があるたびに、恐ろしいなと思うことは度々ある。今週の初めに「災害は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の警句を引いたが、忘れることが難しいほど災害はやってくる。どうしたらいろいろなことに準備ができるのだろうか、他の方のお役に立つのだろうかと思いながらやっていることは、防災センターに行くことである。

皆さんも興味があれば、自分の家の周りはどんなところか、どこが避難経路かを知っておくと良いと思います。何を備蓄した方が良いかということやコミュニティの大事さもよくわかります。是非一度ご訪問ください。

                山崎晶子

2026年3月19日 (木)

サルが襲う映画雑感

2026年3月13日 (金) 投稿者: メディア技術コース

先日立川の映画館で「おさるのベン」("Primate" 2026)というチンパンジーが狂暴化して襲ってくる映画を観てきました。監督は閉鎖状況大好きな?「海底47m」(2017)のヨハネス・ロバーツで、殺戮場面を見せること重視(あんまりありがたくない)の閉じ込めシチュエーションホラー方向。昔あった、スティーブン・キング原作の狂犬が襲ってくるB級作品「クジョー(1983)」(もしくは「クージョ」)の裏返しとも言えるかな?、と思いつつ鑑賞しました。全体としては登場人物の行動が微妙に納得いかず、みんなとりあえず電気つけて行動しろよ!…と見ててモヤモヤする印象だったのですが。

さて筆者は実は猿が出てくるホラー方向の映画はなんだかめんどくさいな~と思っています。

なぜかというのをつらつら書いてみると、

  1. 悪役がサルだと人間に近い「ものを考える」要素が絡むので、一概に「悪い奴だからやっつけちゃえ」という爽快な方向にならない
  2. 芸をやらせている感が付きまとうのであんまり怖くならない
  3. 場合によると悪しき人間の面を見せて、社会問題を語る方向に話が流れるのでめんどくさい

大体こんな感じがするのです。いや、あくまで私見であって確たる根拠がある話ではないのですが。

最後の3.の社会問題を語る方向というのは、顕著には新旧の「猿の惑星」シリーズな感じで、人間社会のいやな面を見せられたり(裏切ったり仲間割れしたり)が、これまた見てて面倒な気分になるのです(メッセージ性を持たせることで作品の質を上げているのも分かるのですが…)。

ところで、猿が襲ってくる映画のパターンを考えてみると、

  1. 飼われている(もしくは逃げ出した)猿が襲ってくる (動物ホラー系)
  2. 巨大化した猿が襲ってくる (キングコング系)
  3. 知性を持った猿が集団で支配 (猿の惑星系)

という3パターンを思いつきます。

今回観た「おさるのベン」は1.の動物ホラー系。この〝動物が単純に襲ってくる〟系譜では、かなり古くはサイレント期のトッド・ブラウニング監督の「三人」("The Unholy Three" 1925)あたりを思いつきます。あるいはアラン・ポーの「モルグ街の殺人」の映画化など。初期の頃はジャングル秘境映画の延長線で、未知の怪力動物が恐怖の対象となる感じでしょうか(もしくは怪しげな科学者が怪しい実験をした結果の産物)。これが時代が近年になるにつれて実験動物やペットなど、より現実にありそうな、管理できている動物が暴れる方向に傾く印象で、動物パニック映画ブーム影響下の1980年代だと、「リンク(1986)」(監督はスリラー演出に長けたリチャード・フランクリン)「モンキー・シャイン(1988)」(監督は〝ゾンビ”のジョージ・A・ロメロ)などの佳作を思いつきます。(あとごく最近だと「NOPE/ノープ(2022)」の冒頭でもチンパンジー暴れてました。)

…などと、今回なにかブログのネタは無いかとおもむろに猿映画を手繰っていたら、1961年のイギリス映画「巨大猿怪獣(KONGA)」というのがあるのを見つけてしまいました。早速観てみると、なにやら生命の根源的な研究をしている博士が、くちパックンしている巨大食虫植物から巨大化薬を抽出し、それをチンパンジーに注射すると、みるみる大きくなって怪力(着ぐるみ)ゴリラに…という進行(実写チンパンジーがあっという間に着ぐるみゴリラに代わる脱力感…)。その後なんだか無軌道になった博士はいろいろなコンプライアンス違反やセクハラパワハラを繰り返し、怪力ゴリラに催眠術をかけて(細かい指示がわからなさそう)殺人をさせる…という、1.の猿が襲う映画のカテゴリーになるのですが。最後は邦題の通り猿がさらに巨大化して(街はあんまり壊さずにそっと歩いて)、2.のキングコング趣向まで入れてくるという欲張った展開(キングコングの版権料を正規にRKOに支払っているらしい)。で、舞台はイギリスなのでビッグベンに…登らずに(ミニチュア壊すのめんどくさかった?)、それを背後に見せながらやっつけられて終幕になっております。…出来は…微妙…。

蛇足:まあ、サルが暴れるパターンというのはいくらでも探せば出てきそうなジャンルで、何せゴリラの着ぐるみがあればなんとかなるので。荒業としてはゴリラの着ぐるみに潜水服の頭をかぶせて”宇宙人”と言い張る「ロボットモンスター(1953)」や、水戸黄門とゴリラが戦う「水戸黄門漫遊記 怪力類人猿(1956)」などもありますが、、、話が横に流れてきりがないので、まとまり無いですがこの辺りで。

(以上文責:永田明徳)

2026年3月13日 (金)

メディア学のパイオニア

2026年3月 4日 (水) 投稿者: メディアコンテンツコース

メディア学部の椿です。こんにちは。

メディア学部は1999年4月にスタートしました。日本で最初に誕生したメディア学のパイオニアです。もうすぐ27年になります。私が着任したのは約11年前ですので、メディア学部がスタートしたころの様子は、実際に見ていたわけではありません。着任して始めのうちは、パイオニアであることの意義を私はあまり理解できていませんでした。

メディア学部がスタートしたときからずっといる先生方や、準備期間から参加していた先生方もいます。パイオニアであることがメディア学部学生にとってどのようなメリットがあるのかを、当時からいる先生に尋ねてしまったことがあります。

一般に新しい学部が作られるとき、その元となる学部があれば、元からいる先生方の専門分野を考慮して新しい学部ができあがるのかもしれません。メディア学部はそうではなく、何も無いところから、まず養成したい人材像を考え、学ぶべき内容の議論を尽くしてメディア学を設計、作り上げたのだそうです。スタートした後も、世の中の進歩に応じて内容を新しくしながらメディア学の体系化を続けてきたとのことです。

何を学ぶことが学生のため、世の中のためになるかを考え抜いた強い自信、それと、実際に作り上げた力。これがパイオニアの意義と私は理解しました。少し圧倒されたことを覚えています。

2026年3月 4日 (水)

寺澤研究室2025年度卒業研究の振り返り

2026年2月20日 (金) 投稿者: メディア技術コース

メディア学部の寺澤です。

ネットワークメディアプロジェクト(寺澤研究室)は2026年1月29日に2025年度卒業研究の最終発表会を行いました。11名の最終発表と1名の中間発表を行いました。最終発表したテーマは半数以上の6件がAIを直接利用するテーマとなりました。いくつか3月の学会発表を控えているものもあります。また、これらも含め多くのテーマで、研究の過程で作るシステム等の開発にAIを活用する事例が多くみられました。

従来はプログラムを作る以前に、必要な開発環境を整備することに苦戦する学生が多かったのですが、AIの利用で2025年度はそれは全くありませんでした。最低週1回は全体および個別のミーティングを行っているのですが、研究の進め方についてAIに相談している学生もいました。また、コーディングにAIを利用する場面もみられました。開発環境自体がAIを使ったコーディングを前提としているものもあります。これは一見学生が単に楽をしているように見えるかもしれませんが、そうではありません。また、すべてAIに作らせているわけでもありません。

AIに指示する際には、どのような仕組みをどう実現したいのかを明確に指示しないと、自身の研究の特徴を表現できません。また、生成されたコードが想定通りに動くのかのテストは必ず学生自身にテストケースを作成して実施してもらい、ミーティングではコード内容の説明も求めています。人間である他人が書いたプログラムを読むのも苦労するものですが、学生たちはAIが生成したコードの解読に手間取っていました。

一方、「それなりに動く」段階に早く到達できたことで、これまでより研究の内容を深めることができました。「ここまでできたのなら、これもやってみよう」と、優先順位を下げていたことまで実現できるようになりました。研究の本質的なことに割ける時間が増えたのです。

研究の道具も変化しています。ソフトウェアが中心の開発の場合、研究室に用意しているPCではなく、学生自身が持っているノートPCのみで開発が行われることが多くなりました。これは、数年前からの傾向でもありますが、各種のクラウドサービスを利用したり、開発をGoogle Colabで行ったり、生成AIをAPIで利用したりということが一般化し、また、ノートPCの性能がそのような作業のためには十分高いため研究室のPCがあまり必要なくなっているのです。作ったシステムの実行環境としても需要が少なくなっています。研究室の今のPCは割と最近買い替えたものですが、今後は研究室のPC更新はかなり縮小してもよさそうです。その代わりサービスの利用料の支払いが増えています。私の老眼対策として、モニタは大型の良いものに買い替えています(笑)。各自のノートPCをモニタにつないでもらってミーティングしています。

言い換えれば、研究室まで来なくても進められるテーマが増えたということになります。そのため、学生にとって、研究室に対面で集まり他の学生の研究の進捗発表を聞いたり、自分の研究内容の説明をしたり、あるいは助け合ったりというミーティングの重要性がより高まりました。

なお、卒業論文や発表スライドはもちろん学生が自力で作成しています。添削をしていますからこれは確かです。

(メディア学部 寺澤卓也)

2026年2月20日 (金)

島学会

2026年1月30日 (金) 投稿者: メディア技術コース

2026年1月22,23日の二日間、沖縄県宮古島にて開催された「情報処理学会デジタルコンテンツクリエーション研究会」(以降「DCC研究会」)に参加してきました。今回は残念ながら自身や指導学生の発表はなく、学会の運用担当としての参加となりました。

毎年1月、DCC研究会は情報処理学会の「コラボレーションとネットワークサービス研究会」(CN研究会)、「コンシューマ・デバイス&システム研究会」(CDS研究会)と合同で研究発表会を実施しているのですが、研究会関係者の間では通称「島学会」と呼んでいます。というのも、1月の合同研究会はいつも離島で行うことになっているからです。2024年は淡路島、2025年は奄美大島で実施されており、今年は宮古島となりました。

学会は大学や企業などの研究者が日本全国から集まるため、負担を分散するために日本全国様々なところで実施されます。とはいえ、離島というのは誰にとっても行くのはちょっと大変な場所です。そういう意味では、学会が開催されるということは珍しいものと思われるかもしれません。しかしながら、実際のところ「あまり行けない場所」というのは人気が高いもので、この島学会は年々参加者が増加してきています。実際、DCC, CN, CDS での研究発表会は島学会の他にも年に数回行われているのですが、どの研究会でもこの島学会の参加者が一番多くなってきています。

宮古島は、数キロ離れたところに「伊良部島(いらぶじま)」「池間島(いけまじま)」「来間島(くりまじま)」といったさらに小さな離島と群島をなしているのですが、それらの島と無料の橋がつながっているんですね。せっかくなので各島をぶらっと巡ってきました。以下の写真は宮古島や伊良部島で撮影した海岸の様子です。

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(メディア学部教授 渡辺大地)

2026年1月30日 (金)

どこから現れた?問題について

2026年1月 5日 (月) 投稿者: メディア技術コース

朝早く起きると「おはよう時代劇」という枠で「暴れん坊将軍」(1978年~2003年放映の全11クールあるTV時代劇、全部で八百何十話あるらしい)をやっている。最終クールまで放映されて終わった?と思っても、また、途中のクールの回にいつのまにか戻るという放映方針らしく(終盤のクールから突然初期の回に戻ると暴れん坊がより元気に暴れるのですぐに分かります)、特番でつぶれない限りいつ見てもやってる印象だ。他チャンネルの「わぁ」とか「まぁ」とか、やたら驚嘆するテレビショッピングを見るよりはと、天気予報代わりにつけている。

(なお、この時代劇「暴れん坊将軍」には、”伝説回”と呼ばれる回もあって、「敵方が全部過去の亡霊で、成敗した後、死体が跡かたなく消える」幽霊の祟り回や、「八王子に巨大彗星が落ちてくる」という民衆大パニック回もあるので、興味ある方は根気よく早起きして観ると良い。)

さて、毎回見ていると気になる演出がある。それは終盤で悪者が善人を手に掛けようと刀を振り被った瞬間、どこからともなく開いた扇が飛んできて、その行為を阻止するという「何者だ!?」という大立ち回り直前の場面だ。大抵はその扇が飛んできたあとで、けっこう遠方から暴れん坊(将軍)がゆっくり姿を現す場面になる。

気になるのは「扇をどこから投げたか」という部分

悪者にすごいピンポイントで当ててダメージを与えているにも関わらず、暴れん坊と結構な距離がある。開いた扇をひらりと飛ばすにはかなりの技術が必要なはずで、その脅威の正確性は置いておいても、その「遠く離れた距離感」と「飛んでいくスピード」がなんだか合わない気がして仕方がない。



このような、考えるとなんだかおかしい演出は、映像作品を観ているとよくある話だ。

多分、この ”違和感を感じる度合い” というのは、視聴者が作品を観ている間に頭の中に形成する ”作品世界の中のリアルの度合い” が関係している。頭の中に ”その映像作品に応じたリアルな描写世界” が形成されると、その世界観に反する描写を見たときに違和感を感じるのだ。最初の「暴れん坊将軍」に話を戻すと、意外とリアルさも伴う時代劇的なチャンバラ(殺陣:刀を振るという動作は一応物理法則に従っているように見える)が基準の世界観に頭が仕上がっている中、その世界観にそぐわない、物理法則に反した妙な飛び方の扇が目立つ、という考え方もできる。

他にもこういうドラマで気になるのが、登場するキャラクタが「どこから現れたか?」という問題だ。よくよく考えると、特撮モノの怪獣が突然町中に現れたり、ヒーロー物の怪人が突然被害者を襲ったりする事象は変だ。それでも違和感もなく納得して見ているのは、視聴している間に「この映像作品の世界では、それは当たり前のこと」と意識レベルの ”リアルさ” が変化していることに他ならない。この「作品内では当たり前」という感覚が作品内で崩れるとき(つまり自分でルールを決めたのに、自らそれを破った場合)、私たちはそこに違和感を感じる。
この「どこから現れたか?」問題で、最近見てて違和感を覚えたのは、劇場用アニメの「果てしなきスカーレット(’25)」で、主人公がピンチの場面に、颯爽と助っ人が現れるシーン。よく考えればこのアニメ作品の舞台は現実世界ではないので、破綻しているわけではないのだが、そこまで繰り広げてきた土地描写と武器を利用したリアルな立ち回りで、「この映画は通常の戦闘空間の話」という認識が頭の中に作られてしまい、ひらけた空間で突然敵に気づかれずに現れる助っ人を唐突な印象にしている。

(なお、「突然現れる」ではなく、逆にヒーローが延々遠くから戦闘に走ってくるのになかなか現場に着かない、と言うギャグが「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル(’75)」にあったのを思い出す)。


映像作品の世界観描写がリアルな世界に近ければ近いほど、物理法則の省略やご都合主義的な展開に対する違和感は増していくように思う。1_20260105081901 これは、アニメ作品が実写映画になったとき(=リアル世界に近づいた分)、細かい挙動の矛盾が気になるという現象に近い。感性情報処理の世界では”不気味の谷”という概念があるが、これは、対象物が抽象化したものから現実のものに近づくにつれて、細かい差異が目に付くようになるという現象である。映像作品の ”リアルさ” が増すにつれて、中で行われる挙動や物理法則の「現実との乖離」が気になってくる。これをちょっと図示してみると右図のようになるだろうか。

世界観がリアルなのに ”表現がいい加減” な場合、違和感が生じる。これは作品の世界観のリアルの度合いに応じて、演出に許容される「いい加減さ」が変化することを示す。世界観の "リアルさ" と作品世界の演出上の "リアルさ" が一致していれば、その作品に違和感は生じない。ゆるい世界観の作品であれば、中の物理法則がそのゆるい世界観よりもさらにルーズなものでない限り、顕著な違和感は生じない。世界観の中で想定される "リアルさ" よりも一段ゆるい描写が作品内にあった場合に ”なにかが違う”とわたし達は思うのだ。ただし、この逆で、 ”描写が精緻な物理法則に則っている” のに "世界観が抽象的でゆるい" 場合は、実はさほど違和感は生じないように思う。(たとえば「リンダはチキンが食べたい!(’23)」というアニメだと、表現方法は抽象的で、動きはリアルだが、さほど違和感はない)

と、ごちゃごちゃ私見を書いてみましたが、要は作品世界内のリアルさと、描写上のリアルさが一致していないと微妙に感じるというお話です。


(以上 文責:永田明徳)

2026年1月 5日 (月)

画像生成AIのメイキング全部見せます:イラスト DE ゆく年くる年(第3回/全3回)

2026年1月 2日 (金) 投稿者: メディアコンテンツコース

本ブログをご覧の皆様,こんにちは.

メディア学部教授 菊池 です.


馬のイラストは、こうして生まれました
― 画像生成AIメイキング(くる年編)―

年末に紹介した「蛇のイラスト」に続き,今回は 「馬」をモチーフにしたイラスト のメイキングを紹介します.

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本企画 「イラスト DE ゆく年くる年」 の締めくくりとして,この馬のイラストには「くる年」への思い を込めています.


「くる年」をどう表現するか

蛇のイラストでは,年末らしい静けさや内省の雰囲気を大切にしました.
それに対して,馬のイラストで意識したのは

・前に進む力
・しなやかさと強さ
・未来へ向かうポジティブな気配

といった要素です.
「走る」「駆け抜ける」といった分かりやすい動きだけでなく,これから始まる一年への期待感 が自然に伝わる表現を目指しました.


主役は「勢い」ではなく「関係性」

今回のイラストでは,馬そのものの迫力を前面に出すよりも 人物と馬の距離感や関係性 を丁寧に描くことを意識しています.
寄り添う構図,穏やかな表情,やわらかい空気感.
そうした要素を通して,「力強さ」と同時に 安心感や信頼感 が感じられるイメージを組み立てていきました.


トーンと雰囲気を整える

画像生成AIを用いた制作では,細かな調整の積み重ねが重要になります.
今回も,

・全体の色調を整える
・光の強さを抑える
・情報量を整理する

といった調整を繰り返しながら,新年らしい 明るさと落ち着きのバランス を探っていきました.
華やかさがありながら,どこか静かで,長く眺めていられる—— そんな一枚を目指しています.


完成したイラストについて

完成した馬のイラストは,蛇のイラストとあわせて 東京工科大学メディア学部公式 Instagram に掲載しています.

https://www.instagram.com/tut_media.official/p/DSzsufikYcW/?img_index=1

年末の蛇のイラストと見比べながら,「ゆく年」と「くる年」の違いを感じてもらえたら嬉しいです.


新しい年へ

画像生成AIは,表現の可能性を広げてくれるツールのひとつです.
しかし,その使い方や方向性を決めるのはやはり人間の側にあります.

今回の「イラスト DE ゆく年くる年」が,表現を考える楽しさや新しい年に向かって何かを作り始めるきっかけとして,少しでも伝われば幸いです.

本年も,メディア表現や制作の現場について,さまざまな形で発信していきたいと思います.

どうぞよろしくお願いいたします.


文責:菊池 司

2026年1月 2日 (金)

画像生成AIのメイキング全部見せます:イラスト DE ゆく年くる年(第2回/全3回)

2025年12月31日 (水) 投稿者: メディアコンテンツコース

本ブログをご覧の皆様,こんにちは.

メディア学部教授 菊池 です.


蛇のイラストは、こうして生まれました
― 画像生成AIメイキング(ゆく年編)―

前回の記事では,年末年始の企画として制作した「イラスト DE ゆく年くる年」 の全体像を紹介しました.
今回はその続編として,「蛇」をモチーフにしたイラスト がどのような考え方のもとで制作されたのか,そのメイキングを簡単に紹介します.

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「蛇」というモチーフの捉え方

蛇は,今年の干支です.
古くから,再生や循環,内省といった意味を持つ存在としてさまざまな文化の中で描かれてきました.

今回のイラストでは,干支としての分かりやすさよりも年末という時間が持つ「静けさ」や「振り返り」 をどのように表現できるかを意識しています.
派手さよりもどこか落ち着いた空気感や,見る人が立ち止まって眺めたくなるような雰囲気を大切にしました.


イメージを言葉にするところから始める

画像生成AIを使った制作では,まず 「どんなイメージを作りたいのか」 を言葉として整理するところから始まります.
今回の蛇のイラストでは,

・全体のトーンを抑えること
・視線や佇まいに物語性を持たせること
・爬虫類が苦手な人もいるので,蛇そのものが強く主張しすぎないこと

といった点を軸に,少しずつイメージを組み立てていきました.


調整の多くは「引き算」

制作の過程で意識したのは,要素を増やし続けることではなくどこまで削れるか という点です.
色数を抑える,情報量を整理する,主役以外の存在感を控えめにする.
そうした調整を重ねることで,画面全体の印象が落ち着き,結果として蛇の持つ緊張感や静けさがより伝わるようになります.


完成したイラストについて

完成した蛇のイラストは,すでに 東京工科大学メディア学部公式 Instagram に掲載しています.
完成したイラストはこちら

https://www.instagram.com/tut_media.official/p/DSzsufikYcW/?img_index=1

まずは完成したビジュアルを見ていただき,その上で「どんな考え方が背景にあるのか」を想像しながら,このメイキングを読んでいただければと思います.


表現は「試行錯誤の積み重ね」

画像生成AIは便利なツールですが,一度の操作で完成形が生まれるわけではありません.
イメージを言葉にし,結果を見て考え,また少し調整する——
その繰り返しの中で,表現は少しずつ形になります.

今回の蛇のイラストも,そうした 試行錯誤の積み重ね の中から生まれた一枚です.


次回は「馬」をモチーフにしたイラスト のメイキングを紹介します.
「くる年」を象徴する存在として,蛇とはまったく異なる発想で構成した作品です.

どうぞお楽しみに.


文責:菊池 司

2025年12月31日 (水)

画像生成AIのメイキング全部見せます:イラスト DE ゆく年くる年(第1回/全3回)

2025年12月29日 (月) 投稿者: メディアコンテンツコース

本ブログをご覧の皆様,こんにちは.

メディア学部教授 菊池 です.

年の瀬が近づくと,「今年もあっという間だったな」と感じる方も多いのではないでしょうか.
そして年が明ければ,また新しい一年が始まります.

そんな節目のタイミングに合わせて,今回は少し趣向を変えて「イラスト DE ゆく年くる年」 と題した制作を行ってみました.


蛇と馬で、年末年始を表現する

今回制作したのは,「蛇」と「馬」 をモチーフにした 2 枚のイラストです.

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蛇は,今年の干支.そして馬は,次の年へと勢いよく駆け出していく存在として選びました.

これらのイラストは,すでに東京工科大学メディア学部公式 Instagram にも掲載しています.
https://www.instagram.com/tut_media.official/p/DSzsufikYcW/?img_index=1


まずは完成したビジュアルを見ていただいた上で,「どんな考え方で作られているのか?」を感じてもらえたら嬉しいです.


画像は「結果」,大事なのは「考え方」

今回の制作には,画像生成AI(Midjourney) を用いています.
ただし,出来上がった画像そのものよりも,実はその裏側――

・どんなイメージを言葉にしたのか
・どんな要素を足し,どこを削ったのか
・なぜその表現を選んだのか

といった 「考え方」や「組み立て方」 にこそ,メディア表現としての面白さがあります.


メイキングは,あえて3回に分けて紹介します

そこで今回は,制作のメイキングを3回に分けて紹介していくことにしました.

・本日(12月29日):企画の背景と全体像
・12月31日:蛇のイラストはどのように作られたのか
・1月2日:馬のイラストに込めた考え方と構成

それぞれ,「プロンプトをどう考えたのか」「画像生成AIとのやり取りをどう組み立てたのか」といった部分をできるだけ具体的に紹介する予定です.


表現を“作る”ということ

画像生成AIは,とても便利な道具です.
しかし,それを使って何を作るのか,どう見せるのかは結局のところ人間の側に委ねられています.
年末年始のちょっとした企画ではありますが,「表現を考えるプロセス」 そのものを楽しんでいただけたらと思います.

次回は,「蛇のイラスト」のメイキング を詳しく紹介します.

どうぞお楽しみに.

文責:菊池 司

2025年12月29日 (月)

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