朝早く起きると「おはよう時代劇」という枠で「暴れん坊将軍」(1978年~2003年放映の全11クールあるTV時代劇、全部で八百何十話あるらしい)をやっている。最終クールまで放映されて終わった?と思っても、また、途中のクールの回にいつのまにか戻るという放映方針らしく(終盤のクールから突然初期の回に戻ると暴れん坊がより元気に暴れるのですぐに分かります)、特番でつぶれない限りいつ見てもやってる印象だ。他チャンネルの「わぁ」とか「まぁ」とか、やたら驚嘆するテレビショッピングを見るよりはと、天気予報代わりにつけている。
(なお、この時代劇「暴れん坊将軍」には、”伝説回”と呼ばれる回もあって、「敵方が全部過去の亡霊で、成敗した後、死体が跡かたなく消える」幽霊の祟り回や、「八王子に巨大彗星が落ちてくる」という民衆大パニック回もあるので、興味ある方は根気よく早起きして観ると良い。)
さて、毎回見ていると気になる演出がある。それは終盤で悪者が善人を手に掛けようと刀を振り被った瞬間、どこからともなく開いた扇が飛んできて、その行為を阻止するという「何者だ!?」という大立ち回り直前の場面だ。大抵はその扇が飛んできたあとで、けっこう遠方から暴れん坊(将軍)がゆっくり姿を現す場面になる。
気になるのは「扇をどこから投げたか」という部分。
悪者にすごいピンポイントで当ててダメージを与えているにも関わらず、暴れん坊と結構な距離がある。開いた扇をひらりと飛ばすにはかなりの技術が必要なはずで、その脅威の正確性は置いておいても、その「遠く離れた距離感」と「飛んでいくスピード」がなんだか合わない気がして仕方がない。
このような、考えるとなんだかおかしい演出は、映像作品を観ているとよくある話だ。
多分、この ”違和感を感じる度合い” というのは、視聴者が作品を観ている間に頭の中に形成する ”作品世界の中のリアルの度合い” が関係している。頭の中に ”その映像作品に応じたリアルな描写世界” が形成されると、その世界観に反する描写を見たときに違和感を感じるのだ。最初の「暴れん坊将軍」に話を戻すと、意外とリアルさも伴う時代劇的なチャンバラ(殺陣:刀を振るという動作は一応物理法則に従っているように見える)が基準の世界観に頭が仕上がっている中、その世界観にそぐわない、物理法則に反した妙な飛び方の扇が目立つ、という考え方もできる。
他にもこういうドラマで気になるのが、登場するキャラクタが「どこから現れたか?」という問題だ。よくよく考えると、特撮モノの怪獣が突然町中に現れたり、ヒーロー物の怪人が突然被害者を襲ったりする事象は変だ。それでも違和感もなく納得して見ているのは、視聴している間に「この映像作品の世界では、それは当たり前のこと」と意識レベルの ”リアルさ” が変化していることに他ならない。この「作品内では当たり前」という感覚が作品内で崩れるとき(つまり自分でルールを決めたのに、自らそれを破った場合)、私たちはそこに違和感を感じる。
この「どこから現れたか?」問題で、最近見てて違和感を覚えたのは、劇場用アニメの「果てしなきスカーレット(’25)」で、主人公がピンチの場面に、颯爽と助っ人が現れるシーン。よく考えればこのアニメ作品の舞台は現実世界ではないので、破綻しているわけではないのだが、そこまで繰り広げてきた土地描写と武器を利用したリアルな立ち回りで、「この映画は通常の戦闘空間の話」という認識が頭の中に作られてしまい、ひらけた空間で突然敵に気づかれずに現れる助っ人を唐突な印象にしている。
(なお、「突然現れる」ではなく、逆にヒーローが延々遠くから戦闘に走ってくるのになかなか現場に着かない、と言うギャグが「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル(’75)」にあったのを思い出す)。
映像作品の世界観描写がリアルな世界に近ければ近いほど、物理法則の省略やご都合主義的な展開に対する違和感は増していくように思う。
これは、アニメ作品が実写映画になったとき(=リアル世界に近づいた分)、細かい挙動の矛盾が気になるという現象に近い。感性情報処理の世界では”不気味の谷”という概念があるが、これは、対象物が抽象化したものから現実のものに近づくにつれて、細かい差異が目に付くようになるという現象である。映像作品の ”リアルさ” が増すにつれて、中で行われる挙動や物理法則の「現実との乖離」が気になってくる。これをちょっと図示してみると右図のようになるだろうか。
世界観がリアルなのに ”表現がいい加減” な場合、違和感が生じる。これは作品の世界観のリアルの度合いに応じて、演出に許容される「いい加減さ」が変化することを示す。世界観の "リアルさ" と作品世界の演出上の "リアルさ" が一致していれば、その作品に違和感は生じない。ゆるい世界観の作品であれば、中の物理法則がそのゆるい世界観よりもさらにルーズなものでない限り、顕著な違和感は生じない。世界観の中で想定される "リアルさ" よりも一段ゆるい描写が作品内にあった場合に ”なにかが違う”とわたし達は思うのだ。ただし、この逆で、 ”描写が精緻な物理法則に則っている” のに "世界観が抽象的でゆるい" 場合は、実はさほど違和感は生じないように思う。(たとえば「リンダはチキンが食べたい!(’23)」というアニメだと、表現方法は抽象的で、動きはリアルだが、さほど違和感はない)
と、ごちゃごちゃ私見を書いてみましたが、要は作品世界内のリアルさと、描写上のリアルさが一致していないと微妙に感じるというお話です。
(以上 文責:永田明徳)