映画の温故知新を考える
2026年8月 3日 (月) 投稿者: メディア技術コース
やっと前期の授業もひと段落し、定期試験期間も終え、少し余裕が出て来た今日この頃。
前期では「メディア専門演習」で”映画字幕制作”という地味な演習をやっておりましたが、いまさらながら、参加した学生の感想をぽつぽつと読んでいます。いろいろな意見を頂いていますが、読んでいると、
「自分では絶対見ない映画を…」
「今の映画を見慣れていると、昔のモノクロ映画は…」
「普段カラーの付いた邦画を主に見ていると、昔の映画は…」
など、”題材が古い”みたいな感想が多いようで。映画の題材を合法的にネットからダウンロードできるものに限っていると、モノクロだし、皆さんの知らない映画になるようです。まあ、皆の知る新しい映画ならよい映画、というわけでもないのですが(個人的にはモノクロ、カラー問わず良い映画は良いと思うのです…。ちなみに今期は「第七天国」「殴られる彼奴」「ロイドの要心無用」のサイレント、「キング・コング(1933)」「極楽特急」などのトーキーを題材にしました)。
さて、中に「普段なかなか映画を観ないので(中略)英語の映画は自分から見ることが無いので…」というコメントもありました。普段そんなに映画を観ないのか!と新鮮な気持ちになりました。この辺りは映画以外にも娯楽が多様化しているということでしょうか。
昔の映画雑誌などをぱらぱらとめくっていると、昔(といっても1970年代くらい?)は映画は“高尚な趣味”という位置づけで、文学のように“深く意味を読み解く”という側面も結構ありました。娯楽重視に偏った近年に比べて、幅広いジャンルを網羅していた時代と考えることもできます(今も幅広い分野はありますが、メジャーなタイトルの芸術作品が、大きな映画館に長期間かかることは少なくなってきましたよね)。
現代は、”娯楽から文芸までを網羅していた映画”の層が、どんどん薄くなってきているような気もします。いわゆる“芸術的”で“難解”なものは一般に受け入れられなくなってきているのでしょうか?(そして、”わからない”と逆に開き直って冷笑し、観るのを拒絶する人も多くなっているような…)
幅広い時代にまたがって映画を見ていると、昔は面白かったものが、今の時代では合わなくなったもの、というのも存在します。その逆も真で、昔は駄作扱いだったものが、今見てみると新鮮な良い題材というケースもあるのです。ただし、駄作を顧みる人は少ないので、過去作の中に光るものは存在していても埋もれたママになる感じでしょうか。
どんどん時代が進んで観客側の好みに迎合して題材が分化、進化してしまうと、いわゆる”尖った””ウケない”作品が出て来にくくなります。作られる作品の絶対数が少ないと、そんな儲かるかどうか分からない作品の制作はなおのこと避けられるのでしょう。これはどんな文化にも言えて、ウケる作品ジャンルが固定化するとそれ以外のものが出て来づらくなります(近年のマーヴェル映画一色時代(そろそろ終焉?)を見ても分かりますが…)。そうして、一般的に平均的な内容の均された品質のものが量産され、飽きられていく感じになります。
言い換えると、エンタメの進化の枝分かれの先っぽで最適化されてしまうと、同じような作品ばかりが量産され、そこからもっと過去の方で分岐した(絶滅した)枝には移りづらくなるというイメージです。その意味で分岐の先っぽの方に位置している作り手が、その時代の新しいものを生み出すためには多岐にわたったアイデアが豊富だった分岐前の”古い”時代までさかのぼって題材の可能性を改めて吟味する必要があるように感じます。まあ、つまり、いろいろと自分好みではないものも掘ってみないといけないという話です。これって、いわゆるAIで作った絵は一般の好みが入っているけれども、尖ったものが無くなっている、という感覚と似ている気もします。
そう、古いものを否定するのではなく、今失われている原初的な感覚を求めに過去作に触れていくのが正しいと思うのです。ということで(むりやりな結論ですが)今週8月1週目の早朝の「暴れん坊将軍」再放送では、いよいよ八王子に彗星が落ちるSF回が放映されるようです(第9シリーズ 19話「江戸壊滅の危機! すい星激突の恐怖」(1999年4月29日放映)←副題からしてかなり攻めてますよね)、かなり尖った作品です(いや、フォーマットはいつもと同じだけど)。忘れないように録画せねば、と気持ちを新たにするのでした。(以上文責:MS 永田)
2026年8月 3日 (月)
























