秋の夜長に読書
2026年10月 7日 (水) 投稿者: メディア技術コース
先日「反ミーム部門は存在しない」(ハヤカワ文庫SF)と言うSFを読んで久々に面白かった。
〝ミーム〟という言葉にはあまりなじみが無いかもしれませんが、遺伝子(gene)とギリシャ語の模倣(mimeme)を合わせた造語で、「脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報」を意味するとのこと。ややこしい言い方をしていますが、いわゆるうわさ話や、連綿とつながり、派生変化していく社会文化の類がこれに入ります。つまり、人を介して複製され、広がっていくという特性を持つもので、そう考えると、文化も風邪などのウィルス的な「人を介して自己を保存し進化し変化していく一種の形態」ともいえるわけです。このような概念を題材に「人の認識を通して存在をあらわにする異質な存在(アンノウン)」という敵対生物?をSFサスペンスにうまく取り込んだのが前出の「反ミーム…」で、終盤の着地はさておき、興味がある人は一読して欲しい気がします。
さて、こういう〝小説で読んで面白かった作品〟は、映画化したら面白くならないんだろうな、と思ってしまいます。いや、面白くなるかもしれないですが、映像化した時点で中核を占める”読者に求められている思索”の部分がごっそり抜け落ちて、全く別物に変わる気がするのです。
映画などの映像作品は、鑑賞時に情報の流れを鑑賞者の意思で任意に止めるようには作られていません。つまり鑑賞を一時中断し、じっくりと考えを整理し理解する必要がある作品には向いていない媒体だということです。逆に万人に分かるような速度で、複雑な思索部分を映像で説明しようとすると、とんでもなくそこに時間が必要になり、エンタメとしては成立しにくくなります。
近年の「プロジェクト・ヘイル・メアリー」(ハヤカワ文庫SF)の映画化も場面の映像化という点ではうまく作っていましたが、種々の問題を解決していく展開が話の中にぎっしり詰まっているため、映画の尺が足らない印象。どちらかというとあらすじを追いかけるのに手いっぱいで、思索部分の面白さは映画になった時点でごっそり落ちてしまいました(これは同じ著者の「火星の人」(小説)⇒「オデッセイ」(映画)も同じ印象です)。説明が観客の腑に落ちるまでの時間を確保できないので、ガジェット的にそれっぽい用語が飛び交うも、理解する前に、なんとなしに物語が進んでしまうことになります。
映像作品、特に単体の映画のような媒体では、“映像の進行と共に、じっくりと考えながら観る〟という楽しみ方は近年ではあまり求められていないように感じます(展開がもう少しゆるめなドラマやアニメだと、「回ごとに引っ張る」ことで思索の余地はまだ残されていますが…)。いわゆる〝タイパ〟を求める風潮ではそんなに説明に時間をかけられない、という所でしょうか? その意味で”推理小説”は映画化と相性が悪い印象もあります。謎解きが観客の腑に落ちる前に、話が勝手に飛んで行ってしまうか、謎そのものの説明が短くて済む超単純なものに置き換えられている場合が多いのです(もちろんうまく処理しているものもあります。例えば「屍人荘の殺人(2019)」や「ミステリと言う勿れ(2023)(こちらはマンガ原作でドラマの土台がありますが)」)。
近年の推理もの題材の映画化作品、例えば「八つ墓村」の新旧や、アガサ・クリスティものの映画化作品(最近の方ではケネス・ブラナー扮するポワロがアクションしたりするアレ)の違いを考えてみると、その見せ方の時代変化が分かるかもしれません。
と、ここまでごちゃごちゃと書いてますが、『小説原作を読まずに映像化作品だけ見てます』と言う人、映画と小説は表現できるものが別物なので、ちゃんと小説を読んだ方が面白い場合が多いですよ、というお話。
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と、これだけではあまり情報が無いので、最近読んで面白かった推理小説(おそらく本で読んだ方がおもしろそうな)をいくつかご紹介。乱読なので、発表年が昔のものもあります。
- 「奇岩館の殺人」高野結史著(宝島社):いきなり解決篇から始まるひねった推理もの。
- 「medium 霊媒探偵 城塚翡翠」相沢沙呼著(講談社文庫):終盤ひっくり返してくる油断大敵な推理もの
- 「紙鑑定士の事件ファイル 模型の家の殺人」歌田 年著(宝島社):蘊蓄(うんちく)語りが楽しい推理もの
- 「地雷グリコ」青崎有吾著(角川書店):推理というよりロジカルなゲーム合戦
たまに、秋の夜長?に読書三昧はいかがでしょうか?
以上文責(メディア学部 永田)
2026年10月 7日 (水)





















