雑感

メディア学部と英語と論文

2018年11月 8日 (木) 投稿者: media_staff

技術コースの羽田です.
私の研究室では,毎週1回,卒業研究などの進捗を報告するミーティングとは別に
英語の論文を紹介するゼミを行っています.
卒業論文などで参照される論文の多くは日本語で書かれた日本の学会のものが多いのですが,なぜ,英語の論文なのでしょうか?
それにはいくつか理由があります.
まず一つは英語の論文は読むのに時間がかかり,労力が非常に大きいことです.英語の論文といっても小さい文字の二段組で短くとも4ページ,多いものになると10ページ以上にもなりますから,読むだけで一苦労です.だからこそ,研究室メンバーの前で発表することで,皆のトータルな労力を減らすことができます.3日かけて読んだ論文を15分で話すわけですから,他のメンバーは15分で3日分の勉強をしたことになるわけです.これは皆で交代に勉強する価値があるというものです.

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2018年11月 8日 (木)

デバイスの歴史はかくも長い

2018年11月 2日 (金) 投稿者: media_staff

技術コースの羽田です.
金曜2限のインタラクティブデバイス論という講義では3人の教員が5回づつ講義を行っています.
先週からミドルパートで私の担当となり,主にユーザーインターフェースデバイスについての話をしています.
私のパートでは現在使われている技術を概観することを目標として講義をおこなっています.今週は過去から現在に至るデバイスの歴史の話を行いました.
みなさんはパソコンの入出力というと何を思い浮かべるでしょうか.どんなパソコンにもついているものといえば,キーボードとマウス,そして液晶ディスプレイですね.そしてマウスのかわりにトラックパッドがついているノートパソコンも一般的ですし,最近ではペン入力に対応したノートパソコンも増えてきました.
現在のパソコンに欠かすことのできないマウスですが,これが発明されたのはどれくらい昔でしょう?最初のMacやWindowsが発売されたのが1984,5年ですからそれより前のはずですね.

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2018年11月 2日 (金)

大学で学ぶということ

2018年11月 1日 (木) 投稿者: media_staff

技術コースの羽田です.
ここ数日,インターネットでなぜかオンライン授業の話が流れてくることが多かったのでそのお話を書いてみます.
大学での学びというと誰もが思いつくものとして講義が挙げられます.大学の講義が面白い,つまらないというのはよく世間でも話題になるものですね.10年ほど前からMOOCやOCWといった大学の講義をオンラインで配信する方法で世界中の講義を見ることができるようになってきています.これらのオンライン大学の仕組みで既存の大学はなくなるのでは?と言われた時期もありましたが今も大学に通う人は世界中で絶えず,安泰のように見えます.これはなぜでしょう?
大学には,講義以外にもさまざまな仕組みが用意されています.授業以外での勉強を強いる仕組みであるテストやレポート,宿題などはいい例です.また,大学では,先生のほか,先輩や後輩といった多くの人と会うことができます.人とあって話をするというのは,新しいことを思いついたり,学んだりするためのよい機会になります.それ以外にも,締切をもって各種のプロジェクトなどをやってみるといったこともオンラインでは学べないことのひとつでしょう.
こんなふうに大学というのはいろんなところに「学ばせるための仕組み」があり,新しい仕組みを作るために日々変化を続けています.オンライン授業で世界最高の先生の授業を見ればよい,というのは授業を見るという観点からは正しいのでしょうが,それは大学で学べることのごく一部でしかないということはおおくの人にわかっていただきたいと思っています.
(羽田久一)

2018年11月 1日 (木)

デザイン思考と日本

2018年10月30日 (火) 投稿者: media_staff

技術コースの羽田です.
先日,デザイン思考を用いたエンジニア教育についての講演を聞く機会がありました.
デザイン思考とはAppleやGoogleなどが取り入れていると言われている新しい製品やサービスを生み出す考え方の一つです.
このとき面白かったエピソードの一つとして,アメリカのスタンフォード大学を中心に発展し,シリコンバレーの文化のように語られるデザイン思考なのですがそのルーツは意外にも日本にあるというものです.黎明期の松下,ホンダ,ソニーなどの製品開発のプロセスを研究して生まれたのがデザイン思考ということでした.日本で生まれたはずのやり方が,洗練され,プロセスとなってアメリカでは体系的に取り入れられているというわけです.そしてそれをアメリカに学びにいく日本人が大勢いるというのも面白い話です.
お話を聞いた中では,これを大規模に適応するのは非常に大変だとは思われましたが,今後は我々のところでも演習や講義のなかにこのような考え方を取り入れていきたいものだと考えていました.
(羽田久一)

2018年10月30日 (火)

高コンテクスト文化と低コンテクスト文化

2018年10月29日 (月) 投稿者: メディア社会コース

こんにちは、森川です。

4月に着任して、早いもので半年経ちました。

前期の終わりに、我が研究室にも13人の3年生が配属となり、後期からは毎週金曜日に「創成課題」の授業をしているのですが、先日の授業で講読した学術論文の中に、“高コンテクスト文化”と“低コンテクスト文化”に関する記述がありました。

皆さんは“高コンテクスト”と“低コンテクスト”の意味をご存知ですか?

“高コンテクスト”とは、実際に言葉として表現された内容よりも、言外の意味を察して理解するコミュニケーションの取り方を指します。

言わば「空気を読む」言語文化で、極端な例は我らが日本語だと言われています。

“低コンテクスト”とはその逆で、言葉にした内容のみが情報として伝わるコミュニケーションです。

ですから、「言わなくてもわかるだろ」は通用しません。

この言語文化の極端な例はドイツ語なのだそうです。アメリカやカナダなど、移民の多い国は低コンテクストの傾向が強い気がします。


日本語のような高コンテクストのコミュニケーションは、相手も自分と同じ価値観や常識を共有しているという認識がないと成り立ちません。

つまり、それだけ我々には共有意識が強いということでしょう。

これには良い面もあるとは思いますが、一歩間違うと「価値観の押し付け」や「余計な配慮」を生んでしまいます。

例えば…

私の住んでいる町には、面白い名前のカレー屋さんがあります。

人気作家の小説にも登場するような有名店です。

そのお店でカレーを注文すると、何と、男女でライスの量が違うのです。

男性のお客さんには女性のお客さんの1.21.5倍くらい量があるのです。

注文の時にライスの量の好みを聞かれるわけではありません。

男なら、女なら、と、自動的に店側が「配慮」した量で出てくるわけです。

大食いの友人(女性)は、最初それに気付かず、いつもわざわざ別料金で大盛にして注文していたそうです。

しかしある時、男性と二人で来店した際に、大盛にした自分のカレーの量と、普通に注文した男性のカレーの量が同じくらいなのに気付き、仰天。

確認してみると、何と店側が男女で「男盛り(おとこもり)」、「女盛り(おんなもり)」と区別していたことが発覚したのです。

店側にとっては、女性はあまり量を求めていない、男性は量を求める、だからお客さんから言われるまでもなく、良かれと思って最初から男女に合わせて適切な量を出している、という、まさに“高コンテクスト”な「察し」の文化があったものと思われます。

しかし、その「男らしい量」、「女らしい量」という店側の常識の、ある意味乱暴なカテゴライズの枠外にいる人への配慮は一切ありません。男性だってたくさん食べられない人はいるでしょう。女性だからというだけの理由で少ない量を出され、大盛料金を払い続けていた私の友人なんて、性別を理由に損をさせられていたと言ったら言い過ぎでしょうか。



Curry



 

もちろん“高コンテクスト”文化を全面否定するつもりはありません。

しかし、勝手な決め付けや判断で、言葉にして相手に聞くことなく、アクションを起こしてしまうと、時に大きな誤解や反感を生んでしまいます。

日本は“高コンテクスト”な文化圏であるという認識を持ち、自分が常識だと思っていることが、果たして本当に他人にとっても常識なのかを疑ってみること。

多様性が尊重される社会の実現のためにも、とても重要なことなのではないかと思います。

 

 画像のカレーと文中のお店とは一切関係ありません。

 

(メディア学部 森川美幸)

2018年10月29日 (月)

AIの発展とメディア学部

2018年10月22日 (月) 投稿者: media_staff

技術コースの羽田です.
近年,ビッグデータやAIといったキーワードがマスメディアに非常に多く登場するようになっています.
これらのキーワードでは「機械学習」や「データサイエンス」といったコンピュータサイエンスの中核にあたるキーワードがたくさん出てくるようですが,メディア学部でもこれらのキーワードは重要なのです.

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2018年10月22日 (月)

国際学会Interspeech2018で音声信号処理・音声科学の発表をしてきました

2018年10月 2日 (火) 投稿者: メディア技術コース

9月2日~6日にインドのハイデラバードで開催された、音声・音響信号処理、音声科学についての国際学会Interspeech2018に参加し、発表を行ってきました。ハイデラバードはデカン高原にある都市で、この時期は雨が多いそうですが、空気はからっとしていて過ごしやすい気候でした。

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旧市街地の様子。出店でにぎわっています。

学会は、工学系の音声・音響信号処理、音声科学といった、音声・音に関わる文系・理系は問わない世界中の研究者や学生が集う場で、インドでは初開催でした。インドはたくさんの言語を持つ国ということで、今回はインドの諸言語での音声認識(音声信号から発話内容を書き起こす技術)、さらにその言語でのデータの量が限られているときに対応した音声認識に焦点を当てたセッションが組まれていました。

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開会式でインドの多言語文化についての解説が行われている様子(上)と
色々な言語の文字がお店の看板に併記されている様子(下)。

今回私は、音声信号処理の福祉応用である、(1)「機械学習を使った発話障害(吃音症)の言語訓練の自動評価方法」と、共同研究である英語学習についての(2)「日本語母語話者による日本語および英語の発話時に呼吸の比較」について発表を行いました。

(1)は医療と関わる分野です。言語訓練(発話のリハビリ)では患者さんが症状を減らす効果がある発声方法の練習を毎日練習する必要があるので、うまく発声ができているかを携帯端末などで自動評価して練習を行いやすくすることを目指しています。そのために、色々な人の発声を学習データとして使い、その音響特徴量から機械学習によって発声ができているかを判定する手法を提案し、9割程度の精度で判別できることを示しました。

(2)は音声学などの人文系と理工系の融合した分野の研究です。言語によって呼吸の仕方を変えているのか調べるために呼吸に関わる器官の動きや呼吸量を測り、信号処理と分析をしました。下の写真には写っていませんが、地元インドからの学生さんがたくさん参加していて熱心にポスター発表を聞いている姿がありました。

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発表の様子

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2018年10月 2日 (火)

スマートホームの夢

2018年9月24日 (月) 投稿者: media_staff

技術コースの羽田です.
先週,ネット通販大手のAmazonが あたらしいスマートスピーカーとそれに接続する製品を発表しました.スマートスピーカーはAIを搭載したスピーカーで,人の言葉を聞き取り,反応することが可能な製品であり,スピーカーに呼びかけるCMなどでもおなじみかとおもいます.
日本では従来製品の改良版に加えて,大きな画面をもったスマートスピーカー(?)が登場しましたが,アメリカのほうではアラームを設定できる壁掛け時計や,ネットワークからON/OFF可能なコンセントであるスマートプラグといった製品が展開されることとなりました.このような家の中で使う家電製品をネットワーク化し,「賢く」使うことをスマートホームと呼びます.このスマートホームは近年のAIブームとスマートスピーカー製品のおかげで一般家庭にも普及しつつありますが,その歴史は案外古いものになります.

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2018年9月24日 (月)

秋学期はじまりました

2018年9月23日 (日) 投稿者: media_staff

昨日に引き続き,技術コースの羽田です.
本学でも先週月曜日の敬老の日から秋学期が始まりました.
本日までの東京ゲームショウや学会など,イベントもたくさんあり大学にいないことも多いのですが,この一週間で大学の中は夏休みがおわり,賑やかさが戻ってきています.最近は多くの大学で授業の回数を確保するために,祝日もふくめて授業を開講しており,我々の東京工科大学もそのひとつです.
9月は三連休が続くのですが,残念ながら我々は明日も通常授業になります.
秋学期は卒業研究の総まとめがある学期です.これから4年生はだんだんと忙しくなり,1月にはよい卒業研究が終了していることを期待して待ちたいとおもいます.
(羽田久一)

2018年9月23日 (日)

AIのスーパースターたちを使いこなす

2018年7月13日 (金) 投稿者: メディア技術コース

サッカーのワールドカップが盛り上がっています。フランス代表のデシャン監督は、自らも選手として活躍し、1998年のワールドカップ優勝にも貢献しています。一方、アルゼンチン代表のサンパオリ監督は、選手としての実績がほとんどありません。また、クラブチームに目を向けてみると、マンチェスター・ユナイテッドのモウリーニョ監督は、現代サッカーを代表する監督ですが、やはり選手としてはほとんど活躍していません。こうした監督たちは、自分の現役時代よりもずっとずっと上手いスーパースターたちを掌握し、チームをまとめあげ、監督として素晴らしい実績を残しています。また、日本のプロ野球に目を転じてみても、日本ハムの栗山監督などは、選手としては目立った実績はありませんが、監督として成功しています。こうした例を見ると、「優れた監督になるためには、必ずしも超一流の選手である必要は無い」ということが言えそうです。

それでは、こうした名監督たちは、なぜ監督として成功することができたのでしょうか。確かに、プレイをする能力で見ると、選手たちより劣るのかもしれません。でも、監督の仕事はサッカーや野球をプレイすることではありません。チームを運営するための管理術や人心掌握術、戦術に関する深い理解、心理学や生理学の知識など、プレイヤーとは異なる視点での勉強を積み重ねてきたことが、こうした監督たちの成功に結び付いているのでしょう。

さて、こんな話をしたのは、実は「AI全盛の時代に人間は何をすべきか」というテーマについて語ろうと思ったからです。深層学習に代表されるAIツールは凄い勢いで発展してきていますが、我々人間は、こうしたAIツールと同じ土俵で「プレイの上手さ」を競う必要はありません。これからの人間は、AIツールを使いこなす監督になることが求められています。最先端のAIツールは、数学や統計学、データサイエンスにはめっぽう強い反面、哲学や芸術に基づく価値判断、あるいは文章の理解や一般常識からの推論といった分野ではまだまだ未熟です。そこで、これらのツールを使いこなすためには、そうした分野の知識と洞察が求められるわけです。とはいえ、モウリーニョ監督がサッカーを勉強していないわけではないのと同様に、AIを使いこなす人間も、最低限の数学や統計学を勉強しておく必要があるのは言うまでもありません。

メディア学部のカリキュラムが、数学や統計学やプログラミングなどの「AI的」な科目と、芸術や社会などの一見「非AI的」な科目とのミックスになっている理由が、わかっていただけたでしょうか?

(大淵 康成)

2018年7月13日 (金)

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