ソーシャル

運動不足の人に役立つ健康アプリ企画をペルソナ的に考える

2022年6月19日 (日) 投稿者: メディア技術コース

新しいメディア学の研究テーマに取り組んでいる健康メディアデザイン研究室の千種(ちぐさ)です。人体を健康メディアとしてとらえメディアを活用して自らの健康をデザインするための研究を行っている研究室です。

今回はメディア学部2年生後期・3年生前期に実施しているメディア専門演習I/IIの健康メディアと地域メディアの企画デザインという演習の1コマを紹介したいと思います。この演習では、
①アプリのコンセプトデザイン評価方法
②figmaを使用したアプリデザインの学修
③既存アプリの調査
④既存アプリの改善案デザイン
⑤ペルソナを想定した新アプリ企画
⑥新アプリのfigmaによるデザイン
の6段階でアプリの企画法を学びます。そして、漠然とアプリデザインを学ぶのでなく、最近注目されている健康アプリおよび地域アプリを対象としたアプリデザインを企画・制作していきます。

6月末の今の時期は⑤の段階に入っています。新しいアプリ企画を考える際に皆さんはどのようなプロセスで組み立てていけばよいと思いますか?「ひらめき」、、、大切ですよね。でも「ひらめき」だけに頼っていては、「ひらめき」が起こらない場合、つまりひらめかない場合に困ります。企業の場合は新企画ができないわけですから、予算は計上しても開発ができないことになります。

とすると他には上記の④で学修した既存のアプリの改善というアプローチもあります。これも悪くないですが、単に類似アプリであったとしたら敢えてこれから新企画するアプリを使用してもらうという動機付けが弱いですよね。

そこで新しいアプローチが必要になってきます。従来はより多くの人に共通的な機能を提供すれば、ターゲットとする多くの人の一部が利用してくれたという結果になり、そこそこのユーザを獲得することができました。特に日本の場合は村社会でかなり画一的であったためこのような方法論が成功の秘訣でした。

しかし今は個の時代です。つまりたくさん人はいるけど、それぞれが個性的でライフスタイルも趣味嗜好も異なるということです。このような環境の人々に、従来のより多くの人に使ってもらうアプリ企画ができるでしょうか?全員にとって少しは役に立つけど、敢えて利用するほどではないということになります。

そこで登場するのが「ペルソナ」(https://prtimes.jp/magazine/persona/)です。

「ペルソナ」は、マーケティングの分野で頻出する単語ですが、混同されることの多いターゲットとペルソナとは本質的に違います。

ペルソナは「人格(Persona)」の意味を持つラテン語です。元は、俳優が演技をする際に役の仮面をかぶることを指していましたが、そこから転じて人格や性格などを意味するようになったといわれています。

ターゲットは「実在する属性のそこそこの人数の集団」で、その集団に商品やサービスを提供することを目的とします。例えば、ターゲットでは「30代独身女性」と属性での括りになりますが、抽象的なので具体的なイメージを思い浮かべるほどには至りません。「休日はどうしているの?」ということを聞かれても具体的なイメージがわきませんし、10人に答えてもらうと10種類ほど出てきそうです。これではどのような仕様でどのようなデザインをしていこうかという際に、ヒントが少なすぎます。

一方、ペルソナは「架空の具体的かつ詳細な人物像」で、例えば、ペルソナでは「38歳男性、職業は食品メーカーの営業職。現在は八王子在住で、八王子の大学では経済学部でラグビー部に所属し、4年間で卒業し、26歳で大学のサークルのマネージャーと結婚し、9歳の息子がいる3人家族の夫」などと具体的かつ詳細に人物像を定めます。具体的な人物像なので、例えば記載の無い「休日はどうしているの?」ということを推定するとき、息子のサッカースクールのお手伝いとか応援かなとか、家族で高尾山にハイキングにいくのかな、とかなんとなく発想が広がっていきます。

実際に上記の演習でペルソナ設定を実践してもらうと、本人はペルソナを記載していたつもりで、実はターゲット設定のままで具体性が欠けていいるというケースは少なくありません。つまりペルソナとターゲットの違いを曖昧に捉えているからで、問題意識が低く、深掘りができておらず、自身が設定したアプリの利用者についての対象者設定が甘いということになります。

そしてペルソナが完成すると、その人物像が必要とするニーズを箇条書きにして仕様を決定し、その人物像を想像しながら優先順位を決めます。つまり十人十色(https://plaza.rakuten.co.jp/tensinotubuyaki/diary/200706040000/)な新アプリ企画になります。そしてデザインする際には、設定したペルソナに気に入ってもらえるように、十人十色的に色やフォントやイラスト・写真を用いてのデザインを構成していきます。

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2022年6月19日 (日)

海のSDGs!」STEAMワークショップ 親子で遊ぶソーシャルデザインを開催 その2

2022年3月 8日 (火) 投稿者: メディア社会コース

2021年11月23日に日本科学未来館で行われた日本財団、リトルスタジオインク株式会社イエローピンプロジェクト(中山財団協力)主催STEAMで学ぶ「海のSDGs」のワークショップの実施した。

親子17組が参加したイベントで、ソーシャルデザインノートブックを活用しました。今回は、海をテーマとした内容の話を聞いた後に親子でノートブックを作成してもらいました。親子で話あって、海の問題をわかりやすく表現してくれていました。

以下がその例です。メディア学部では、ウェブデザインや視覚デザインの授業がありますが、親子で情報のレイアウトに工夫して

ノートを作ってくれていました。メディア学部のソーシャル・デザインプロジェクトでは、このように子供向けの教材を作って行き、将来は

本学の学生さん達も博物館や、美術間などで、ファシリテーターとして参加してくれるようになるとよいなと思ってプロジェクトを進めています。

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文責:飯沼瑞穂

2022年3月 8日 (火)

「海のSDGs!」STEAMワークショップ 親子で遊ぶソーシャルデザインを開催 その1

2022年3月 7日 (月) 投稿者: メディア社会コース

2021年11月23日に台東区、日本科学未来館にて、一般社団法人イエローピンプロジェクトが実施した、「プログラミングで海のSDGs!」のSTEAMワークショップの、一つを企画、担当させて頂きました。このイベントは、次世代へ海を引き継ぐために、海を介して人と人とがつながる“日本財団「海と日本プロジェクト」”の一環でした。 サイエンス(S)、テクノロジー(T)、アート(A)の3つの視点からSDGs課題14「海の豊かさを守ろう」について理解を深めてもらうSTEAM学習を行いました。私が企画担当したのはアート(A)ソーシャルデザインワークショップです。以下が日本科学未来館で行った際の様子です

 

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ソーシャルデザインノートブックをつかい、海に関するテーマを親子で一緒に考えて解決策について話し合いました。

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こちらがそのノートブックの表紙のデザインです。親子17組が参加してくれました。一組づつに、筆記用具やシール、写真やハサミ、色鉛筆を用意してそれらを使ったアクテイビティをします。以下のようなセットを用意しました。

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その時の様子が記事になっていますのでこちらもご覧ください。ソーシャルデザインの紹介もしていただいています。明日は子供たちの作品を紹介します。

文責 飯沼瑞穂

親子で学ぶ ソーシャルデザイン

 

2022年3月 7日 (月)

パウエル街の話 その7

2022年1月 9日 (日) 投稿者: メディア社会コース

さて、ようやく時間は現代に戻ります。

私は色々な縁があって、パウエル街を訪問してそこをビデオ撮影することが出来ました。そのころ伺ったミュージアムの学芸員の方から、パウエル街の話しを最初に聞いたときには衝撃を受けました。特に、財産の話しは衝撃的でした。スティーブストンで出会ったかたには砂糖大根の畠がある州の工場で働き、働きにでたお父様たちは-20°以下でもお昼は工場内で食べられず凍ったおにぎりを召し上がったそうです。

パウエル街の分析は今また始めています。私たちが過去の記憶や過去の体験があった街を分析するのは様々な意味があると思います。今まで書いたことは、歴史学の先生方や社会学の先生方か書いていらっしゃることです。しかし、私は相互行為を分析することによって、今の人々が何を受け止めるかを知りたいのです。パウエルでの研究をいかして、他の研究にも応用して行きたいというのが今の私の希望です。

一緒にやってくださる方がいると嬉しいです。

           山崎 晶子

2022年1月 9日 (日)

パウエル通りの話 その6

2022年1月 8日 (土) 投稿者: メディア社会コース

戦争が終わって、カナダ政府はバンクーバーから各地に送った人々に、カナダの東側に行くかそれとも日本に帰るか迫ります。不確かな情報ですが、ビートルズが来日した時にスーツを仕立てた方は、パウエル街に住まわれていたそうです。多分、日本に帰ることを選ばれたのかなと思いました(このことは後で調べたいと思います)。

 しかし、バンクーバーに骨を覚悟で来た人々、バンクーバーに愛着をもう人たちには、それは本当に困ったことでした。そのために、多くの方が交渉して、バンクーバーに帰ることが出来ました。森田さんは、戦後グリーンウッドであった人々にもう一度尋ねるのですが、そのようにグリーンウッドに暮らした人々、トロントなどに政府の言うとおり住んだ人々、そして森田さんのようにバンクーバーに帰った人々、カナダでの日本人移民の数は減り、日系人同士で結婚することも減り、日系人はマイノリティとなりました。そして今のパウエル街は、支援を必要とする方、家がない方が多く住まわれています。

 

  山崎 晶子

2022年1月 8日 (土)

パウエル通りの話 その5

2022年1月 7日 (金) 投稿者: メディア社会コース

ここまで私は表題にパウエル通りと書きましたが、中ではパウエル街と書いています。パウエル通り沿いに発展した日本人街はその側の通りを含んで街となりました。また、鮭缶工場のあたりにあるスティーブストンも日系人の街でした。スティーブストンは、和歌山から来た漁師が多く住んでいましたが、自由に漁をすることや舟を持つことは日系人には禁じられていました。スティーブストンの人々の舟や漁の道具、パウエル通りの人々のお店、また日本人が集住するこによって生まれる味噌や豆腐や練り物などのお店は、日系人の移住によってなくなりました。それはただ、なくなっただけではなく、殆どの人が財産を処理する時間もなく、追い立てられるようにバンクーバーを出ることになったのです。

そして、カナダ政府はバンクーバーから追い出した日系人の財産だけではなく、アルバムなどのその家族やその人々にとってだけ大事なものを処分してしまったのです。カナダ政府やブリティッシュコロンビア州のしたことは、戦後大きな批判を呼びました。

先ほどから取り上げている森田さんは、そんな環境を受け止めて鶏を雛からかえすビジネスをしながらグリーンウッドで再三にわたって転居しながら暮らしていました。、

 

  山崎 晶子

2022年1月 7日 (金)

パウエル通りの話  その4

2022年1月 6日 (木) 投稿者: メディア社会コース

さて、パウエル通りだけではなく、カナダではブリティッシュコロンビアに移民がいたのですが、第二次世界大戦が始まると、政府は殆ど準備の時間を与えずバンクーバーから日本人移民を出しました。

森田さんは次のように書いています。

「正月を過ぎるとまもなく、カナダ政府は18才から45才までの男性を道路キャンプに送ることに決めた。(中略)その後日系人総移動が確定、働き手のいる家庭はアルバータやマニトバ方面の砂糖大根畠に移動、自分で仕事を見つける事のできた家族は二月末までに自由移動していった。(中略)、老人や子ども、病人などをかかえた家族(中略)は、かつての炭鉱町グリーンウッドの廃墟」に定住したそうです。

パウエル通りは静かに日本人町をしていたわけですが、そこでの生業、森田さんの場合は料亭(いろいろあって廃業されたようです)やパイオニア移民(初期の移民)でお店を営業していたものも全て移住をしたのです。

それは今どのように捉えられているのかをパウエル通りの話 5でお話しをしたいと思います。

  山崎 晶子

2022年1月 6日 (木)

パウエル街の話 その3

2022年1月 5日 (水) 投稿者: メディア社会コース

なぜパウエル街の話しをするかというと、パウエル通りはそこに様々な思いを持つ方がたいらっしゃるのです。

森田さんの御著書を読むと、パウエルストリートは、ヘイスティングス製材所というその当時のカナダの主要産業で、働く人材を欲していたところ、中国人を斡旋する業者が日本人の労働者も斡旋し、その結果側の入り江の筏で暮らしていたそうです。ところが、日本人労働者が沢山入ってくるようになって、理髪店やレストランが出来て、パウエル街には日本人街になりました。

しかし、どこの国でもそうですが、移民排斥の動きが高まり1907年に、暴動が起きることになります。

このために、最初に述べたように、パウエル通りは鳥居も持たず、あまり漢字の建物もありません。もともとパウエル通りは、中産階級のために、電車と電気などが引かれていた住宅地でしたが、そこに多くの日本人が様々な小売業からホテル、銀行(頼母子講)を営みつつ、日本人と感じさせないように暮らしていたそうです。

 

 山崎 晶子

 

 

 

 

2022年1月 5日 (水)

パウエル街の話 その2

2022年1月 4日 (火) 投稿者: メディア社会コース

みなさんは、横浜や神戸の中華街を歩いたことはありますか?

肉まんの屋台があったり、中華の美味しいレストランがあったり、いつ行っても賑やかで楽しい場所ですね。中華の香辛料や音楽、そしてたまには獅子舞をみたり、お店のデザインも中国を思わせます。赤い鳥居がその街の入り口と出口をしめしているので、いつ行っても、そこからは中華街だということが街の賑わいでも分かります。これを執筆しているのは、2021年の7月26日ですが、早くこんな賑わいを感じられるようになりたいなと私も思います。

森田勝義さんというかたが『パウエル街物語』という本を書いていらっしゃいます。パウエル街は「日本人」が多く住んだところです。ところがその序文にこのように書かれています。

「バンクーバーのパウエル街の事を、リトル東京と呼んだり、ジャパンタウンと呼んだりする人を見かえるが、戦前からの移住者は決してこういう呼び方はしない。(中略)チャイナタウンと違って、パウエル街には鳥居一つあるわけではないし、通りに並ぶ建物も外から見たのではその辺りにあるものと変わらなかったが、ドアをあけて、一歩なかへ入れば全く日本風になっているところが多かった。」

「日系人は、カナダという国の中に融け込まなければならないと強く感じていたので、パウエル街に日本食料品の店や魚屋などが集まって来た現在でも、そこはリトル東京でもなければジャパニーズ・タウンでもない、ただ「パウエル街」なのである。」

街の中にバナー一つあるわけではないのです。しかし、ここは戦前日本人が多く集まったところなのです。そして、カナダに住む人々に刺激を与えないように、日本という出自を強調しなかった街、それがパウエル街です。

 山崎 晶子

 

 

2022年1月 4日 (火)

あけましておめでとうございます:パウエル街の話

2022年1月 3日 (月) 投稿者: メディア社会コース

あけましておめでとうございます

 

今日から一週間担当をさせて頂きます。メディア学部の山崎です。

現在私は街歩きの研究をしています。この研究は、多くの人によって出来るようになりました。科学研究費基盤研究(B)という基金の助成や、今までの学生さん、特に清水さんという学生さんがいなければ私が街歩き研究に本当に没頭するようにはならなかったと思います。また、今までにあった日系に関わるミュージアムの方々、この方々のおかげで私は幸いにも撮影し、そして関心を持ち続けることが出来ました。清水さんという卒業生を始めとしてこの研究は、東京工科大学メディア学部に奉職して本当に良かったと感じられるものでした。

さて、パウエル街はバンクーバーの海側にあります。そこには沢山の日本人が戦争前に住んでいました。なぜ戦争前なのか、そしてなぜこんなことに今関心を持つのかということを明日から説明したいと思います。

 

 

2022年1月 3日 (月)

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